露天風呂で、朝からのんびりと「ほぐれながら」過ごすのは、気持ちいいもの。
有馬温泉は自宅から Door to Door で小一時間野距離にあるので時々利用しているが、気分転換には普段の場所、つまり生活圏から移動するというのは、実に簡単にモチベーションに刺激を与えることができるから、よく使われる手だ。
普段の生活圏から離れるというのは、そこでの習慣や環境に影響を受ける考え方から少し距離を置くことにも繋がる。
一人でのんびりと「毎日の生活」とは何のしがらみのない場所に身をおくと、「ここで生活をするとするとしたら、何が変わるのだろうか?」「今の仕事以外なら何を選択するだろうか?」などといった取り留めのないことが、ふと頭に浮かぶことがある。
まあ実際に行動へ移すことがないにしても、ある程度のリアリティーがなければ、こうしたことは考えることがなかったり、全くの絵空事になってしまうため、まずまわりの環境だけでもシチュエーションとして存在するというのは、結構大事な点だと思う。
最初アメリカに住みたいと思ったのは、こうした点から言えば「他力本願」だが、思惑通り、確かにとても効果があったし、大きな影響を受けたといえるだろう。
最初は家族が日本に住んでいたため、シアトルのダウンタウンのホテルで生活をしながら、日米を往復するという生活を1年以上続けることになったのだが、体力的には結構大変なことを続けることができたのは、何かを変えたいと強く願っていたからだと思う。
音楽の仕事に見切りをつけ、父の仕事を手伝うにつれ、それは私が独力で創り上げたものではなく、ファミリーとしてのビジネスを手伝うということだから、途中で自らの力で取り組もうとした「音楽」をあきらめたコンプレックスもあって「何かを全く一から自分の力で!」という気持ちがだんだんと強くなっていったからだろう。
普段と違った環境に身をおくと、普段と違ったことに直面し、さまざまなことを体験することができる。
溜まったマイレッジをどう使えばいいのか?とか、時差ボケを克服するにはどうすればいいのか?などというような、それまでには直面することがなかった新たな「問題」に対して、好むと好まざるに関わらず、経過と解決の過程をこなすことが要求される。
こうした経験というのは、普段の生活からは、決して得られないものだ。
そのためこうしたプロセスによって、今までとは違った考え方をする必要に迫られたり、日本人と言う単一民族だけではない、さまざまな人種のいるアメリカ人との関わりの中で、新しい考え方に触れる機会に恵まれることになったというわけだ。
「可愛い子には旅をさせろ」という言葉があるが、さまざまな多様性に適応できるチカラを身に着けるためには、はっきりと目的さえ持っていれば、その土地に住むというのは、観光旅行では決して得ることができないものを、身に着けることができるだろう。
だがそこまで極端なことをやらなくても、毎日の生活の中でも、環境を変えるという工夫をうまく取り入れることで、自分に対して継続的に「変化」へのチャンスを与え、新しい刺激によって、生き生きとした自分を保ち続けることが可能になる。
デスクの前で仕事ばかりをしていたのでは、手に入れることができないものが、そこにはある。
私の場合、仕事場と家との往復だけは、どうしても煮詰まってしまいがちになるので、それなりの工夫をしている。
単に風呂に入るだけなら家のマイクロバブル風呂で十分なのだが、何故温泉へ行くのかといえば、まさにこうした気分転換と、大げさに言えば環境を変え、リラックスした状態でボヤっとした状態を作り出すことで、自分の頭の中から何かを抽出するためのもの。
こうした状態へワープするときに不可欠なのは、やはり車。
できれば上質で、リラックスできる状態でもって移動できる車がいい。
だから私の場合、車の選択基準は燃費とか、5人が乗れるなどといった点はどうでもよく、家とそうした場所を繋ぐための乗り物としての基準をどれだけ満たせるか?と言う点が最も大事になるというわけだ。
こうして考えると、私が求める車というのは「カーク船長操るエンタープライズ号」のようなクルマということになるのだろうか。(笑)
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