2012年01月09日 のCoolに過ごそう

イマジン

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トレーディングに必要なものは何だろう。

才能だろうか、または努力なのか?

それともいくばくかの運なのだろうか?

誰かより儲けるとか、誰かには負けないというような競争心でもない。

また受講クラスでトップの成績を取るなどと言った種類のものでもないはずだ。

 

 

トレードに対する「想い」というか期待度も含めた思惑というものは、年代によって異なるだろう。

外見的なものだけではなく、いろいろなことが年齢とともに、若い時よりも衰えてゆくことの方が多い。

将来に対しての可能性が狭く、少なくなってゆくという、漠然とした不安を持つ人も多いはずだ。

 

若くても、好きでもない仕事を選べば、忙しすぎても、暇すぎても不満が蓄積することになる。

大してすることが無いのに、デスクに張り付いていなければならない時間はとても長く感じるはず。

毎日少しずつの持て余す時間が、人から情熱をゆっくりとだが、確実に奪い去って行く。

 

仕事を今すぐやめたいというわけではないのだけれど何となく続けるという選択を続ければ、将来の仕事への希望も、そして希望を奮い立たせるだけの情熱もなくなってゆく。

もともと好きではない仕事なら、それはその度合いに比例して加速する。

それでも、生きるためには、すぐには違う道を選べない。

  

このような現実をどうすれば変えることができるのか?

セミナーに参加されるのは、その一つの解決策として、トレードを選択された方がほとんどだ。

米国では、「デイトレードは最後のアメリカンドリームだ」とも言われている。

 

日本でも不況で職がなくなる一方の昨今「デイトレードは最後のジャパニーズドリーム」とばかりに希望を託し、セミナーに参加される。

セミナー後は、そのノウハウをもとに自分のトレード方法を見つけ出すため、試行錯誤を繰り返し、時には苦しみ、そして悩む。

トレードはマーケットではなく、自分との戦いだ。

それも思ったよりも時間がかかる戦いになることが多い。

 

トレードは心理面・チャートの見方・執行などのそれぞれのパートでの慣れが必要だ。

この「慣れという道」は誰もが通らなければならない。

カットロスさえ守れば、トレードを続けられなくなるような事態にはならないはずだから、負けることは問題ではない。

正しいトレードでさえあれば、半年くらいのロスは必要経費だと考えればいい。

トレードは一つの事業なのだから。

 

私は目安として一ヶ月1万ドル負けたらやめるとカミさんに公言し、自分へのリミットとした。

どんな仕事でも、新しい仕事ができるようになるには、それなりの時間がかかる。

トレードだって同じことだ。

 


私がうまくゆかないとき、試行錯誤を続けることができたのは、「いつか必ずものにしてやる」という、強い意志と心意気があったからなのかもしれない。

トレードセミナーに加される方は希望に燃え、ほとんどの方がその道で食べてゆければいい、つまりプロになろうと考えられている。

プロとしてやってゆくには、特殊な才能が必要なのだろうか?

 

必要なのは、自分のトレードがルールに則っているかどうかを、客観的に判断できるようになることだ。

これは具体的な訓練方法は、このコラムでもたびたび掲載している。

このサイトで書いている利益を出す手法は、すでに確立されている。

 

訓練さえすれば、銘柄とタイミングを、事前に推測し、見つけ出すことができる。

だから、トレードというのは、それほど難しいものではないのだ。

だが同じ銘柄の同じ位置でエントリーしても、ロスを出す人と利益を出せる人に別れる。

何故だろう?

 

私は、このように「ロスと利益」に分かれるのは、「欲という自我」のコントロール能力にあると睨んでいる。

淡々とルールどおりに、所定の作業をできるかどうかだ。

感情的になり、株価の上下に一喜一憂し、自分の「エモーション」をコントロールできないと、株価の上下に合わせたその「感情」の揺れにタイミングをゆだねることになる。

 

自分のトレードが感情に支配されているかどうかを自分で客観的に判定するためには、「冷静」な目で見なければ不可能だ。

だからこそ、実際のお金でトレードをする前に「トレードを判定するための能力を磨くため」の十分なトレーニングを積み重ねる必要がある。

利益を出す銘柄やタイミングを見つけることよりも、トレードをする状態になったときに「冷静に判断できる心理状態」へ持ち込み、その結果をあとで「冷ややかな目で他人事のように」判断することの方が難しいのだ。

  

どんなことにしても、白黒をハッキリさせるのは苦しいものだ。

才能がなければ、努力しても無駄なのか?

そうではない。

 

「自分に才能があるのだろうか?」などということは、なかなか答えの出ないものだろうし、才能の有無は「彼は才能がある」などというように、他人が評価することだ。

成功した当事者本人は、自分は才能があるとかないとかいうことに関しては、多分どうでもいいことだと考えているはずだ。

 

夢はあっても「自分と向き合うつらさ」に耐えかね、自分との戦いをあきらめた者の中には、その矛先を他人へ向ける。

それは結果として、自分自身を傷つけることになるのだが。

だが努力を続ける者は、やがていつか希望を実現したり、思いもかけなかった人生に出会うことがある。

自分への可能性をどこまで信じることができるか?

トレードでは、それが問われるのだ。

 

それまでの自分の姿勢がどうだったのかという事実と、イヤでも対峙しなければならないのだ。

これは結構キツイ。

だからこそ、こうしたモチベーションを持ち続けるためには、緩急を織り交ぜながら、トレードを楽しむことだと思う。

楽しむという姿勢が、気持ちに余裕と潤いを与えてくれるはず。

こうした姿勢はトレード中でなくても、いつどんなときでも、忘れたくないものだ。

 

楽しみながら続けるという種類の努力こそが、結果として才能を生み出すための、エネルギーなのだと思う。

そうしたレベルになると、自分のために、自分でできることを探すという姿勢が、予想していた以上の結果を生み出すことがある。

すでにあるものや、簡単に手に入るものには価値を感じなくなることもあるだろう。

 

欲しくてたまらないからこそ、手に入れようとするし、手に入れた時は喜びも倍増する。

何事も自分で経験すれば、その経験そのものが肉となり血となるだろう。

うまい食事をの話や作り方を人から聞いたところで、満腹感は得られない。

それが自分の力で達成できたとすれば、その喜びはどれほどのものになるだろうか。

Imagine.

想像しただけで、ゾクゾクするではないか。

 

休養を十分にとった人なら、火曜から始まるマーケットが楽しみのはず。

もう一人のあなたを、あなたが観察できる機会は、トレード意外にそうあるものではないのだから。

 

 

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