諦めるな、ガンバレ、ネバーギブアップ・ネバーサレンダーは大事だ。
だが、時として、諦めることが、それ以上に大事な価値となる場合がある。
と書くと、ずいぶん矛盾したことを言うじゃないか!と言われるかもしれない。
だが、ちょっとマティーニ。(笑)
人生には賞味期限がある。
だから、いつ美味しくなるか、いつ美味しくなればいいのか、を考えておいて損はないだろう。
美味しくなり始めるべきときに、まだ食べられない場合、捨てる勇気と決断ができるのか。
これができないと、いつまでもまずいものばかりを食べて、一生を終えなければならなくなるかもしれないのだ。
もちろん、そういう選択もありだ。
だが家族を持つと、船長は乗組員全員の意見を聞く耳を持つ必要が出てくるもの。
長い人生においては、オレはあっちへ行きたいと思っても、みんながこっちへ行きたいという場面に、遭遇するだろう。
そのときには、説得か、従うかのどちらかを選ばなくてはならなくなる。
どちらにしても、自分の現状と周りを見れば、いつまでにそれを決めなければならないのかは、何となくわかるものだ。
カミサンという航海長からの進言、などという追い風が吹けば、具体的なタイミングの決断は、うんとラクになるはず。
あらかじめ、期限を宣言しておけば、船長から乗組員を含めた全員が、それなりの心づもりで過ごすことができるからね。
そのためには、まず自分に対し、期限を決める準備を早めに始めておくことだ。
私の場合、大学生の時ヤマハのライトミュージックコンテスト西日本大会で優勝し、スカウトされて東京で音楽を始めた。
そして8年ほどが過ぎたとき、東京音楽祭で、外国人アーティストと演奏する機会があり、そのときに諦めようと決めたのだった。
理由は娘が生まれたから。
沈みそうな船を何とか操りながら、運に任せるという、何も変える必要のないラクな選択肢もあったが、自分の「伸びしろ」と収入のバランスを考えた結果だった。
この船にこの人数を乗せて、好きだから続けたい、という方角へ進めば、沈没する可能性が高いと判断、船を乗り換えることにしたのだ。
だから、一般的に言ういわゆる「家族のため」という理由だけでやめたわけではない。
娘の誕生は、自分の才能を見極め、決断するきっかけとなるほど、大きな出来事だったのだ。
本音を言えばだ、やめたくなかった。
だから、多分自分ひとりだけなら続けていただろう。
だが家族に対する愛情が、やめる勇気を後押ししてくれたのだと思う。
やめるまでは苦しいが、やめてしまえば、こっちのもの。 < オイオイ(笑)
新しい船でやるべき事があるわけで、まあ、そんなものだ。
だが、切羽詰まる前に、何かを変えるというのは、実際にやってみると、大変な事だった。
まあ、それだけ才能がないことが、ハッキリしていたから決断できたのかもしれない。
と書いているウチに、何だか妙な雲行きになってきた・・
格言は、我々が釈明に困ったときに驚くほど役に立つ - プーシキン
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