文字数制限で書けなかったため、いただいたコメントをテーマに書いてみました。^^
今年を振り返って という日記に、あるところで、次のようなコメントをいただきました。
>ですが文字や言葉で表現できる限界まで切り込む努力を続ければ、ぼやけてはいても輪郭くらいはわかるのではないか?
↑ なんか、ガツンときました~。
文章には苦手意識があって、書くと書いたそばから自分の感覚からずれていく違和感があるので、すごくメンドクサイと思ってしまいます。
でも、確かに…書き続けると少しずつ余計な混乱した思考が剥がれていって、意識の核に近付けるような、暗中模索ながらもそういう方向性は感じた事あります。
限界まで挑戦するってことがワタシにはできなくて…
意識しなくてもできるようになることというのは、自分で気がつかないうちに身についていることがあります。
たとえば車で右折しようとすると
右車線を見る
ウィンカーレバーを押して指示器を作動させる
右車線に移動する
直進車がないかを確認する
右折する
という具体的な動作をスムースに連続して行う必要があります。
ですが慣れてくると、ウィンカーを出す、というのは、こうして改めて書いてみると、私の場合、無意識のうちにやっていることの一つです。
アタマの中で、何が行われているのかは知りませんが(笑)自分の意識の中では「自然に手が動いていた」、あるいはそういうことさえ全く意識せずに行っているわけです。
ですが自動車学校へ通っている人にとっては、神業と思えるかも知れません。
ですが、できる人には、あたり前田のクラッカー。(笑)
毎日の限られた時間の中で、意識するという「刷り込み」の優先順位をつけ、自分の「やる気」と相談しながら、自分のペースでコツコツと実行する。
そうしたことを見つめ直し、考える時間というのは、私の場合、今日のような新年早々の休みを利用しています。
加齢と共に減少してゆく残された時間をどう使うのか?
と意識している人の考え方も、人によっては、考えたこともないことなのかもしれません。
自分の回りの現実というのは、自分の考え方から創り上げられたものです。
偶然とか、運命というものも作用しているのかもしれませんが、それを証明することができないため、単純にそう考えているのですけどね。(笑)
そうした自分の毎日や周りを様々な視点で書き綴り、記録に残しておけば、好きなときに立ち止まり、過去を振り返ったり、そのときの自分の考えていたことをある程度思い出したりすることができます。
進んだコースが自分の計画通りだったのか?
計画どおりにはゆかないものというのは、どういうものなのか?
などといったことが、遠い過去の日記の文面や行間からわかることがあります。
このような予想だにしなかったことが見つかるというラッキーな体験が、その後にどのような影響を与えるのかはわかりません。
ですが、たとえば日記を書き続けるモチベーションのレベルや質が、異次元へシフトするかのように変化することだって、あるかもしれないのです。
ホント、人生何が起こるかは、わからないのです。
書くと書いたそばから自分の感覚からずれていく違和感があったとして、それを書いたあと時間をおいて読み返したときに、どう感じるのか。
それはそのときにならないと、誰にもわからないことです。
ひょっとして、さっき起こったかのごとく、走馬燈のようにそのときの感覚が蘇ることだって、あるのかも知れないのです。
ですから余り深く考えず、書きたいと思ったとき、書きたいように書いてしまうことです。
たくさん書いているうちに、なんとかなるものです。
塵も積もればなんとやらっていいますし。
最後のオチがアバウトですみません。^^;