原子力安全委員会と政府は11日、福島第1原発事故の国際的な事故評価を、最悪のレベル7に上げる検討を始めたという報道がありました。
過去に発生したレベル7の事故は86年のチェルノブイリ原発事故があり、これと同等だと認めることになったというわけです。
政府は今頃になってこの事故の規模がどれだけ大きいのかを、やっと認めたわけですが・・
京都大学・原子炉実験所 小出 裕章 原子力の専門家が原発に反対するわけ では、とても重要なことが書かれています。
ぜひお読みください。以下は私が上記の資料を読み、さらには他の信頼できる専門家の意見を総合して、大事だと思った点を要約したものです。
原発事故で一番困るのは、放射能の漏洩をコントロールできないという点です。
放射能の漏洩を止められなければ、どんどん健康に被害が出続けてしまうにもかかわらず、政府は被曝量が低ければ危険ではないとい言い続けています。
症状が出る最低の被曝量を一般的には「しきい値」と呼んでいますが「しきい値」以下であっても、分子結合がダメージを受けること自体は避けられないのです。
今までの原爆被爆者の調査からは、いわゆる「許容量」と呼ばれるものは「安全量」なのではなく、「がまんする量」でしかないのです。
原発で利益を受ける集団から、私たち国民という危険を押し付けるられる集団は「がまんさせられる量」として設定されてしまっているのです。
原発を推進している人たちは被曝量が少なければ安全であるかのように装っています。
ですが放射線の物理的な性質と、生物の細胞の構造・機能から言えば、どんなに微量の被曝であっても影響はあるのです。
原子力を推進する人たちも、微小な被曝でも危険がゼロとは言えないため、被曝には「容認できるレベル」があると言うのです。
大事なことは、自分に加えられる危害を容認できるか、あるいは、罪のない人々に謂われのない危害を加えることを見過ごすかは、専門家が決めることではないという点です。
一人ひとりが決めるべきことなのです。
「被曝者」への 60 年以上の調査で、どんなに少ない被曝量であっても、癌や白血病になる確率が高くなることが明らかになっています。
低レベル放射線の生物影響を長年にわたって調べてきた「米国科学アカデミーの委員会」は、2005 年6月 30 日にこの問題について結論を公表しています。
利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。
被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。
最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある。
チェルノブイリ事故での放射能の影響は、数年後から平均寿命にあらわれ始めている。
原発推進派は、3割の電気が原発によって賄割れていると言い続けていますがこれは大きな嘘なのです。
発電能力は原発が3割ですが、火力発電を70%稼働すれば、電気は足りるのです。
今までも原発をすべて止めたことがあったのに、電力不足になったことはなかったのです。
もし仮に多少足りなくなったとしても、真夏にエアコンを少し控えれば良い程度ですむのです。
さらに原発は熱効率が33%とロスが多く非常にコストが高くついていることも忘れてはなりません。
熱効率50%を超える火力発電のほうが遙かに効率的なのです。
利権に群がる取りまきが何としてでも原発建設を推進したかったため、安全神話をでっち上げ、結果として日本は国土が原発に取り巻かれる状況になってしまっているのです。
原発をすべてやめても、今の生活は維持できるのです。
福島第1原発事故 浪江町の放射線、累積14ミリシーベルト超す
文部科学省は11日、福島県内の先月23日から10日までの累積放射線量が、福島第1原発から北西約30キロの浪江町の国道399号沿いで14・48ミリシーベルトになったと発表した。
福島県で11日午後2時時点の1時間当たりの大気中放射線量が通常値を超える2・1マイクロシーベルトとなり、他の6都県でも同日午後5時時点の線量が通常値を超えた。
[ニュースの深層] これからの福島第一原発と放射能汚染 ゲスト:武田邦彦(中部大学教授)
http://g2o.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-9a5a.html
動画で説明を見ることができます。
放射線物質と放射線は全く違う。放射線は光と同じで山などで遮られると大丈夫だが、放射性物質はフワフワと花粉のように飛び散るので注意が必要。
ここのところの、原発に対する反対意見、興味深く読ませていただいております。
私は個人的に原発に反対はしません。 ただ、現在の原発の設計における想定は、あまりにずさんだったということが今回のことで露呈してしまい、このままの運用では国民および全世界的にも納得できないでしょう。
どこかのお偉いさん(電力会社か、原発設計の会社の上層部)が言った言葉で、「想定を割り切っている。 すべての可能性を想定したら設計できなくなる」というようなことを言ったという記事をどこかで読みました。 やはり、これも甘かったといわざるを得ません。 それこそ人類の大半が影響を受けてしまう(つまり、死んでしまう)ような自然災害までを想定する必要はないですが、今回のレベルの自然災害が、たとえ100年、200年に一度起きるかどうかだとしても、その影響度合いを考えれば、想定されるべきだ、とだれもが痛感したのではないでしょうか。
今回と同じレベル、さらにはそれ以上の自然災害を考慮に入れた場合、原発が運用できなくなる、というのならば、私は原発を止めるべきだと思います。 最初に原発に反対しない、といったのは、そういったことを考慮・想定しても安全に運用できるのであれば、という条件付きです。 今回の件で、自然エネルギーによる発電が騒がれつつも、現実味がない、ということで、またなかなか議論が進まないのでしょうが、原発においても、いろいろなことを想定すると現実味がなくなるのであれば、そういった自然エネルギーによる発電も、少なくとももっと議論の対象になってくるのではないかと思います。
さて、はっちさんは、火力発電で十分まかなえると考えていらっしゃるようですが、はっちさんが常々おっしゃいっているように、なにごとも、点検・メンテナンスが必要です。 たとえ70%でも、長期的に連続運用は厳しいのではないのでしょうか。 この考えに根拠を示すことはできませんが、個人的にそのように感じています。 また、火力発電のメインである原油に頼りすぎるのも、色んな意味(経済的、環境的、資源的など)でリスクが高いのではないでしょうか。 トレードと同じでリスクの分散が大事だと思います。
現実路線としては、現在稼動中の原発の問題点を洗い出し、それを解決できる原発および問題点がない原発を継続し、問題点が解決できない原発は止める。 その間に、ほかの方法による発電を模索する、という感じでしょうか。