安全と楽観主義

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乳児は大人より低い値でも水道水摂取を控えろというなら、乳児とその保護者および未婚・未成年の男女は、原発からさらに離れたところへ避難させるのが筋だろう。

安全対策は、事態の推移を楽観方向へ考えるのではなく、悲観的に想定するのが基本だ。

なのにもかかわらず、妙な楽観主義が蔓延している。

放射能は、直ちに健康に影響がなくても、そのうち健康に影響が出ると考えるのが、常識というものだ。

 

日記にも書いたように、11日の地震発生の翌日には、神戸へ来いと、東京に住んでいる娘に、強制的な指令を出したのだが、意外に手こずったのは予想外だった。

TVも見ず、ツイッターもやらないため、情報がないため楽観的になっていた娘は、放射能の危険性を全く知らなかったわけで、無理もないハナシだ。

そのため放射能の危険性について、刻々と変わる事態と共に、ショートメールにて、一方的に何十通も送り続けたのだ。

その効果はテキメン。

 

私の息子は障害を持っているため、カミさんも私も、遺伝にまつわる健康を脅かす事に対しては、常に気を配っている。

なぜなら健康な子供を持つ親にはわからない、障害を持つ親の大変さを知っているからだ。

ゼオライトを早い時期から常備しているのもそのためだ。

特に放射能は、被曝レベルと将来発生するであろう障害との因果関係が、すべて明確になっているわけではないのだ。

さらにやっかいなのは、セシウム137やプルトニウム239やヨウ素131などから出る放射線(α線、β線、γ線、X線)によって、放射線を浴びた生物自体が放射能を持ってしまうという点だ。

この「誘導放射能」という食品や食物の放射線はやっかいで、対策としては、逃げる、避ける、体内に入れない、しかないのだ。

放射線を強く浴びると、その人自体が、放射性人間になってしまうため、放射線被ばくは出来る限り避けること。

プルトニウム239、セシウム137、ヨウ素131、コバルト60などがある地域には、近づかない、逃げる、避けることで、対策はこれしかないのだ。

  

このように放射能に関しては、できるだけ物事が悪い方へ推移することを前提に行動をすることだ。

こう書くと「不安を煽るのは良くない」という意見が必ず出るのだが、安全に関しては、起こらないで欲しいという願望による「楽観」を選ぶのは間違っているのだ。

子供が嫌がろうと、親が強制するのは、障害の可能性から子供を守りたいという強い責任感から生まれるからだ。

 

安全対策では「臆病」になり過ぎるということはないのだ。

悪い事態へ進まなくても、失うものはない。

だが楽観による対応で、将来子供や孫に重大な障害が発生すれば、その責任は一生ついて回るのだ。

原子力保安院の大ウソ暴露!(関東エリア未放送)

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2011年3月

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