米下院公聴会でのトヨタ社長らの対応については、賛否両論があり、どうも決め手に欠けるようです。
皆さんはご覧になったでしょうか?
NHKで放映された同時通訳付での約1時間にまとめられた答弁の番組を見た感想ですが、公聴会では豊田章男トヨタ自動車社長と稲葉北米トヨタ社長が出席していました。
ですが始まった瞬間、「まずいな」と思いました。
謝罪では相手の目を見て謝るというのが基本です。
謝罪はどうしても言い訳めいた口調になってしまいがちで、気が引けるために相手の顔(目)を見ないで話をしがちです。
特にこうした公聴会では、全米のアメリカ国民こ対して話すわけですから、TVカメラのレンズを真っ直ぐに見ながら話すべきなのです。
アメリカの質問する側を見る限り、誰一人として原稿を見ながら質問をしている人はいませんでしたから、特にこの姿勢は際立って悪い印象として残りました。
あれでは、二人ともあらかじめ用意された原稿を読み上げるのに精一杯、という風にしか見えません。
謝罪で最も重要な「誠意を伝える」という点からは全くダメで、あれでは誠意は伝わりません。
謝る側の心を映すのは目なのです。
今の時代、カメラプロンプターを使うなどの工夫をすれば、下に置いてある原稿に視線を落とすことなくスピーチができるのです。
公聴会への出席条件として、こうした状態での答弁ができなければ参加できないとの主張をすれば済むハナシなのですから。
これはトヨタ側スタッフの大きなミスだと言っていいでしょう。
稲葉北米トヨタ社長は一貫して英語で話していましたが、豊田章男トヨタ自動車社長は最初英語で話していながら、途中からは日本で話し始めました。
このように最初に使い慣れない言葉を使ったのもまずかった点です。
日本語で原稿を見ずに話している彼からは、彼の本音が伝わってきていましたからね。
彼は最初から日本語を使って自分の言葉で話すべきだったのです。
具体的な答弁では、一点痛いところを突かれていました。
それは2007年9月のリコールが(車両の欠陥ではなく、マットなどの備品が対象となったため費用を1億ドル以上節約できた、と記述された2009年7月6日付のトヨタの内部文書の表紙に稲葉氏の名があるという点でした。
ここの答弁で稲葉氏は、自分が社長に就任したばかりの時に社内状況を把握するためにスタッフが作った文書だ、と回答したわけです。
ですが一般的なアメリカ人の常識では、本人の名前が表紙にあるということは、北米社長の稲葉氏がトヨタの本社に対して作成した文書だということになります。
トヨタの社長は、ここで助け船を出したつもりなのかもしれませんが、これもまたまずかった。
新社長着任でプレゼンテーションするのはどこでも行われているうえ、その中身によってその企業全体が揺らぐことはないと、発言したのです。
こういうときの稲葉氏を養護したかのような発言は、逆効果にしかならないのです。
「私達は悪くないのに・・」といったムードが少しでも察知されてしまったら、それだけで謝罪の効果は半減します。
こういうケースでは、「コスト削減がアタマにあったので、こういう文書を作ってしまったがこれは間違いだった」と非を認めるべきなのです。
納得していないのに、すぐ簡単に謝る必要はありませんが、トヨタは「すぐに謝り、然るべき対処を迅速に行う」ということができなかったため、ここまで問題が大きくなってしまったのです。
ですからその落ち度の部分に対しては、言い訳せずに相手が納得するまでひたすら謝るべきなのです。
謝るのは、誰でも嫌なもので、全面的に自分に非がある場合であっても、なかなか素直になれないものです。
言い訳めいた口調になってしまうと、謝っているつもりが、ますます相手を怒らせてしまうことになりかねないのです。
時間がたつと、誰しも謝りづらくなるうえ相手の怒りも大きくなります。
豊田氏が苦情を把握した時期が遅かったのではないかという、会社のシステムの不安も指摘され、さらには米当局とトヨタのやりとりで、社長がどの程度知っていたのか?などの、回答の曖昧さというか歯切れの悪さは「欠陥を隠しでいるのではないかという?という不信感を残していました。
肝心の原因や経緯の説明で客観的な事実が提示できないで「ごめんなさい」という謝罪だけを繰り返しても、限度があるわけで、「本当に悪いと思っているのか?謝れば済むと思っているのか?」と、いうことになりがちです。
原因をはっきり提示できない以上、いくら謝ったり「再発防止策」を打ち出しても、利用者の安心にはつながらないということを、トヨタ側はしっかりと認識すべきだったのです。
トヨタはこれをまた公聴会でも繰り返してしまったのです。
「態度にも言葉にも、謝罪の姿勢を貫く」という一本筋の通ったものがなかったのは、豊田章男トヨタ自動車社長も稲葉北米トヨタ社長も、今まできちんとした謝罪の経験がなかったことを物語っていたのでなないでしょうか。