下記はWIKIからの引用。
セミパラチンスク核実験場
セミパラチンスク核実験場(Семипалатинский ядерный полигон)は、旧ソビエト連邦の核実験場のひとつで、カザフ共和国(現カザフスタン)の北東部、セメイの西方150kmの草原地帯にあり、面積は約18,000km2(四国の面積にほぼ等しい)。
1949年から1989年の間に合計456回の核実験に使用されたが施設は最初の核実験からちょうど42年目にあたる1991年8月29日に正式に閉鎖。
ソ連最初の核実験RDS-1は1949年8月29日に行われた。実験を指揮した核物理学者のイーゴリ・クルチャトフは、後に、もし核実験が失敗したらスターリンの命により銃殺刑に処されることを覚悟していた、と述懐している。
その後、1953年8月12日の水爆装置実験RDS-6(核融合そのものは失敗)、1955年11月22日の初の水爆実験RDS-37、核の平和利用実験(下記参照)などが行われた。なお、RDS-6の実験に当たっては、付近の住民のうち一部の成人男子を放射能汚染地域に滞在させた。これは人体実験だと見られている。またベトナムの枯れ葉剤のようにここでも奇形児が生まれ、ホルマリン漬けで保存されている。
その後放射能汚染による住民の健康被害が次第に広がり、地元の研究者たちによる調査が行われたものの、核実験を優先するソ連当局に黙殺され続けた。ソ連末期のグラスノスチにより実験の実態が明らかになると国際的な非難が高まり、1991年8月29日に実験場は正式に閉鎖された。
セミパラチンスクの核実験で120万人が被爆しても30万人ほどが放射能の後遺症を受けているが、結局ソ連政府(宗主国ロシア)から補償はなく、ソ連時代は訴えは一切聞いてもらえなかった。