私が温泉に嵌っているのには理由がある。
温泉は、アイデアや「閃き」の泉が湧き出るための環境としては、高いポテンシャルを持っている場所だと考えている。
素晴らしいアイデアを突如として考えついたり、「閃き」を体験するためには、ただ情報を大量にインプットするだけではダメだということは、体験からも言えるのだが、最近の脳の研究からも、これはある程度実証されていることなのだという。
「閃き」を生むには、重要なポイントがある。
それは、「何日も何週間も考え続ける」などの方法で、情報を集め徹底的に考え抜くことから始まる。
こうして必要な情報が側頭葉に蓄積されると、脳は蓄積されたパーツを使ってすべてがうまく回るためにはどうすればいいのか?というパズルを解き始めるのだ。
だが多くの情報が常に入ってくる、いわゆる日常の状態では、頭の中はそうした普段のルーティーンワークのための情報処理で手一杯となっている。
だが一方で、情報が入ってこないと、脳は情報を必死になって探しはじめるという性質を持っているのだ。
脳の神経細胞の活動を調べる実験によると、外部からの情報が入ってこない「無」の環境では、脳は寂しさ耐えきれなくなり、自分で勝手に情報をつくり出してしまうことさえあるのだという。
ひらめきは、「洞察」のように、じっくり見て覚える学習とは、根本的な相違がある。
何が違うのか?
それは一瞬で「閃く」という点だ。
脳の神経細胞がひとつの目的のために総動員されれば、他の機能は休むことになるわけで、言い換えれば「ひらめき」を生み出す時間というのは、身を守る、という点から言えば「無防備な状態」となるわけだ。
そのため、無防備になるリスクを最小限度にとどめるため、「ひらめき」の状態は長く続かないようになっているのだと推測されている。
要するに何かを一所懸命やっている最中は、「閃きモード」にはなりにくいのだ。
一所懸命の状態から解放され、脳に余裕があり、多少無防備な心持ちになったときこそが、「ひらめきモード」にとっては絶好のチャンスとなるわけだ。
温泉に浸かっている「心地よさ」というのは、心身をリラックスした状態へ導き「一生懸命ではない時間帯」を生むことになる。
温泉に浸かって「無」の境地にも似た解放感の中では、考えごとをする脳というのは、アイドリングで、負荷をかけずにならし運転をしているようなものだ。
温泉の心地よさによって、テンションの高い部分の感覚はちょうど良く遮断され、脳がよい案配に集中しやすくなっている状態だといえるだろう。
だが脳の中では情報の整理や再編集など、アイデアを生み出す準備が、リラックスした状態で、着々と進行しているのではないだろうか。
温泉でいきなり「閃く」ことを何度も経験している私にとって、温泉というのは、思考を生み出すための絶好の場所だと、断言でき場所だといっていいだろう。
前フリが少々長くなったが、最近では時間がある限り、昼と夜の2回温泉を楽しんでいるのには、こうした潜在的な理由があるからだ。
夜はクアハウス、そして昼は最近「灘温泉」に嵌っている。
というわけで、今日は「灘温泉」をご紹介。