やりたいことがあるのにできない。希望はあるのに実現できるとはとうてい思えない。
これを「ジレンマ」と呼びます。
選択肢が2つあるのだけれど、そのどちらを選んでも何らかの不利益があるために、決められない、というものです。
わかりやすい例としては有名なドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話による「ヤマアラシのジレンマ」があります。
寒空に震える2匹のヤマアラシ。
互いに身を寄せ合って暖め合いたいのに、針が刺さるので近づけない。
これは「自己自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマのことをわかりやすく説明しているのですが、トレードの世界でも、ジレンマは存在します。
一例を挙げましょう。
エグゼキューショナー養成トレーニングへ参加したいのだけれど、参加できない。
特に大きく負けてはいないのだけれど、ジリジリと手数料負けを続け、気がついたら資金が少なくなってきている。
という状況で特に頻発するわけです。
トレーニングを受ければ何とかなりそうなのに「受けられない」。
あるいは、どうすればいいのかは、漠然と何となくはわかっているのだけれど、どうしても行動に移せない。
心理的に「がんじがらめ」になるということは、オトナになると、より頻発しやすくなるもののようです。
これには、理由があります。
何かをブレイクスルーするとき、あるいは何かが大きく変わる時というのは、自発的であろうと他発的な理由であろうと、そこには「感動」があります。
ニワトリが先か卵が先かの違いはあってもです。
アクションを起こすことで感動が生まれるのか、感動があるからこそアクションを起こせるのかはさておき、どちらにしても「感動」が関わっています。
言い換えれば、つまりジレンマに陥った時に最も効くクスリが「感動」なのです。
だれもが自分なりに「感動」したことはあるはずです。
なのに、どうして自分が抱える問題に対してブレイクスルーできないのか?
これには理由があります。
毎日の生活の中で、最も錆び付きやすいのが「感動」を関知するためのセンサーなのです。
若いときというのは、心も柔軟で、なおかつ汚いものを知らないという事情もあって、感動しやすいもの。
ですが人は年齢をとるに従い頑固になり、世の中の仕組みを知るにつれ、その汚さや、複雑さに疲れ、メゲてしまうのです。
さらにはカラダにも疲れが蓄積し、これらの要素が積み重なることで、いつの間にか「感動」を呼び起こすセンサーの感度は大幅に下がってしまうのです。
私は常日頃から友人や周りに、こうした感動を共に分かち合えるチャンスを振りまくようにしています。
何故なら、「感動」は人から与えられたり、戻ってきたりすることによって、その結果は1+1が3以上になることを、体験で知っているからです。
ですが、感動センサーの感度が落ちてしまっている人には、それがチャンスとは映らない、そう見えない、思えないのです。
ですが一方で、何がきっかけでセンサーが甦るかは、理屈でわからないものでもあるのです。
だからこそ、ネバーギブアップ、ネバーサレンダーが大事なのですね。
休みが続くゴールデンウィークこそ、こうしたことを考えるための、チャンスなのではないでしょうか。
どうか良い連休をお過ごしください。