温泉では女性の方が一般的に男より長湯の傾向にあると言えるだろう。
だが女性でも温泉体験が少ない人もいるわけだ。
こうした温泉の経験値が少ない場合や「のぼせた経験」がある人などは、どうしても「カラスの行水」になってしまいがちだ。
この傾向は、男だとさらに顕著になるようで、私も例に漏れず最初は「カラスの行水」モードだった。
だが最近では有馬温泉の場合、カミサンと1時間半から2時間後にロビーで落ち合うケースが多い。
そのため今では2時間を存分に楽しめるようになってきたわけだが、場数を踏む効用というのが、温泉の場合にもそれなりにあるのかもしれない。
神戸の街から山を越えて30分ほど走ったところにある有馬温泉 あたりの気温は、自宅付近に比べると5度以上低いため、最近では車から降りると結構肌寒いことが多い。
そのためまず、泡の立っているジャグージーの温泉で冷えたカラダを暖める。
冷えた体が一気に温まるというあまりの気持ちよさで、頭の中は「空白状態」。
この状態は、いわゆる「無」の境地。
日頃からの様々な気遣い、対人関係などで疲れたアタマの中は、温泉の気持ちよさで、いわゆる「放心状態」になるというわけだ。
この放心状態の気持ちよさというのは、文字でうまく表現することができないのがちと残念なところだが、あえて書けば「筆舌に尽くしがたい境地」といえばいいだろうか・・
5分から10分で、カラダの表面からは「寒さ」という感覚が遠のき、すっかりリラックス下気分に・・
そして次の段階はサウナ。
サウナの壁にとりつけてある砂時計を回転させ、ゆったりと発汗を待つ。
砂時計の砂が下へ移動するまで5分ほどかかるが、その頃には発汗が顕著になってくるため、頑張らずサウナ室から出て、シャーを浴び露天風呂へ。
ここからがまさに温泉の醍醐味。
今の季節だと、外気温は3度を割るため、頭寒足熱の温度差が大きくなり、ゆったりとした「無」の境地がさらに際だつことになる。
普段我々の頭の中は「意識」というものに支配されている。
たとえば「今は何も考えていないぞ」と思っても、そのときはすでにそういうことを「考えている」わけだから、無の境地ではないことになる。
だから何も考えていない「アタマの中が空白」という状態をある程度の時間維持するというのは、アタマで考えるより、意外と難しいことなのだ。
毎日の生活では、周りの人の顔色や挙動、あるいは自分も心当たりのある心理状態から推定する「気遣い」という潤滑油が不可欠になり、この潤滑油の生産のため、日頃から脳はフル回転している。
中には「気遣いができない」と周りから判定されてしまっている人もいるが、本人にすればそれなりの「気遣い」をしているというケースもあるわけで、どちらにしても頭の中では何らかの 気遣いという何らかの「意志」が渦巻いているわけだ。
一方で仕事や毎日の生活でのいろいろなアイデア、ヒント、ノウハウといったものも、自らの頭の中で熟成されるわけだが、時に空回りすることもあったりと、脳は自分が意識しようとしまいと、 無意識のうちにフル回転しているのが現実なのだ。
こうした意識の中で、あるレベル以上の矛盾が生まれると、それが悩みとなり、度が過ぎれば神経症などのノイローゼとなり、時には自分の命を絶つ事にも繋がる ことになる。
さらに「頭を使い過ぎて死ぬことはないから、悩んだら死ぬほど考える」という解決法を多用する人の頭の中は、かなりの状態になっていることは想像に難くないだろう。
こういうとき頭の中を「無」にすることで、脳は生き返り、気分もリフレッシュされるというわけだ。
脳というのは時々、凄まじいポテンシャルを発揮する「閃き」と呼ばれる大逆転シナリオをいきなり頭の中で提示してくれることがある。
その思わぬ効用で狂喜された経験をお持ちの方は少なくないはず。
それまでの悩みが、あたかもオセロゲームの真っ黒な盤面が一気に真っ白へと変わるような「奇跡」と呼んでも差し支えない レベルの興奮をもたらしてくれるのだ。
解決できそうもない悩みを抱えたり、行き詰まったりしたときの「無」は、頭にとっての何よりのご馳走なのだ。
そのため禅、ヨガ、など様々な手段で我々は何とかしてそうした別名「悟り」を得ようとするわけだが、最もラクチンなのは、気持ちよさで脳を懐柔する温泉 を使った方法ではないだろうか。
露天風呂というのは、浴槽に流れ込む湯の音が静寂という空間と溶け合うという環境のもと、カラダを暖めながらも、冬の冷たい冷気が頭が冷やしてくれるため、脳が「閃き」を発するには最も適している状態なのだ。
露天風呂というのは一般的に屋内より、湯温は高めに設定されいる事が多い。
そのため、温まりすぎて、のぼせないように、気をつける必要がある。
そのためには、胸から上だけを外に出したり、「考える人」のようなポーズで、アタマと背中の一部だけを外気に晒すなどの方法で、発汗しすぎないよう にして、ゆっくりとカラダを暖めるわけだ。
人が比較的少ない平日の昼間や、夜8時頃からの時間は、こうした「癒し」のためにはベストな時間帯だ。
有馬温泉ソサエティーの露天風呂の湯船のすぐ外には、小石が敷き詰められているゾーンがある。
少しクールダウンしたいときは、ここを素足で歩くことにしている。
始めてだと足の裏は結構痛くなるうえ、一歩毎に小石の中へ足裏が不規則に潜るため、バランスを取りながら100歩くというのは結構大変だ。
だが慣れればだんだんとスムースに歩けるようになる。
もちろん誰かが入ってくれば、小石の上を歩く音が気になるかもしれないので、即中断するわけだが、温まりすぎた時にはこうして発汗を調節することもできるというわけだ。
天風呂でリラックスしたあと、なお時間があるときには、最適の時間解消法だ。
また露天風呂のそばには、横たわるとカラダがかろうじて隠れるだけのぬるい湯を張った、「寝湯」のゾーンがあり、ここには冷たい水が中を流れる金属製の枕が備わっている。
ここではこの枕で首の付け根を冷やし、火照ったアタマをクールダウンさせながら、「無」の境地を味わうこともできる。
さらに「滝湯」という頭上2メートルほどのところから流れ落ちる湯の下で、滝に打たれる修行僧のように、アタマの頂上を刺激しながら「無」の境地へと至る道も用意されている。
こうしたコースを組みあわせれば、2時間くらいの時間はそれほど長いと感じなくなるから不思議だ。
何よりもゆったりと、時間をかけて楽しむという気持ちが、温泉では大事になるというわけだ。