日本でもようやく環境や健康に影響を与える化学物質の監視体制を強化しはじめたようだ。
現在の化審法の監視対象は、法制定された1973年以降に作られた化学物質中、有害性が判明した約1100種に限られていたが、今後監視対象は約2万種あるすべての化学物質になるという。
報告が義務づけられる企業は、化学メーカーや商社、自動車、電機など大幅に増える見込みだが、優先的に安全性を評価する物質を約1000種に絞った場合でも、企業が負担する検査費用は約40億円にもなるという。
メーカーはこのコストをどう考え、どこまでやるだろうか? ちなみに欧州連合(EU)では2006年からすべての化学物質を対象に、安全性評価を義務づける新たな規制を導入している。
日本では次の通常国会に化審法の改正案を提出し、2010年度の運用開始を目指すという。
こうした規制が強化されるということは、言い換えれば、化学物質というのは身の回りの至る所に存在し、政府レベルで変えざるを得ない状況にあるということだ。
もちろん毎日口にする食品にも、多くのものが含まれているのが現実だ。
私はコンビニやスーパーで、口にするであろうものは、必ず含まれている成分を見るようにしているが、口から体内へ継続して入れるには躊躇するものの何と多いことだろう。
こうしたものを入れる理由は、見た目、歯ごたえ、口あたり、保存性を向上させるなどの、言い換えれば「提供する側の金儲け」のためであって、我々の健康にとってプラスになるからではない。
経済面からのメリットの代わりに、ある部分は目こぼしをするという、バランスをどこにするかの線引きは、「金儲けをする側」にあるのだということを忘れてはならない。
というわけで、残念ながら我々は普通に食事をしていても、そうした有害な金属などの化学物質を、一切口に入れずに過ごすことは不可能な時代に生きている。
今年の4月に偶然に出会ったデトックスつまり有害な金属などの化学物質を体外に排出するサプリメントを飲み続け、すでに半年が経過している。
驚くべきはその効果だ。
いまだに時間が経過するばするほど、そうしたものがカラダに与えてきた影響の大きさを認識できるというのは、どうしたものだろう。
カラダからこうした物質が「排出されてなくなってゆく」につれて自覚できる、思考や精神的な部分への変化の方が、体の状態の変化よりも遙かに大きいことは、全く予想外だった。
なくなることによって始めてわかることが、それが「ある」ときには気がつかないというのは、様々な意味で「凄いこと」だと思う。
だがこうした点は、気づかない方が幸せ、なのかもしれない。