先日放送されたCNNのスペシャル番組「社会の中の 自閉症」を見たので、今日はそのときに思ったことをもとに、書いてみようと思います。
世界中には3500万人もの自閉症の人たちがいます。
私の息子もその中の一人なのですが、先天的な脳障害のため、その原因は未だにわからず、教育意外に有効な治療方法がないというのが現実です。
そのため家族は、ALSとはまた違った、苦難の毎日に直面することになります。
番組の冒頭で、アメリカでは生まれてくる子供の150人に一人が自閉症で、癌やエイズなどの難病を抜き去り、最も数の多い「難病」の部類なのだという説明がありました。
情報公開が進んでいる国ですからこういう数字がわかるのでしょうけれど、ただそこに光が当たるか当たらないかの違いだけで、どこの国でも同じような割合のはずです。
多分 ほとんどの方にとっては、自閉症を抱える親が過ごす毎日がどんなものかというのは、多分想像もつかないでしょう。
この番組の中ではまた「相手の立場になるというのは非常に難しいとことなのだ、ということがわかる」という発言がとても印象的でした。
確率で言えば、仮に mixi の会員数が1000万人だとすると、宝くじは1000万分の一ですから、 mixi の会員の中から一億円が当然する人は一人。
ですが、将来子供が生まれた場合、確率的に「6万7千人」が自閉症の子供を持つことになるのです。
私自身も自分の息子が自閉症でなければ、いわゆる「障害」を持つ家族を持つ苦しみ、というのは全く人ごとで終わっていたはずです。
娘は正常だったので、自閉症だとわかったときの、「呆然」とした気分は、まさに「晴天の霹靂」でした。
これは番組ののインタビューで多くの両親が口にされていたことですが、自閉症の家族を持つ方なら、この部分はとても共感できる部分だったはずです。
番組では子供3人ともが自閉症!という家族も紹介されていました。
ですが、基本的にこうした番組で取り上げられるのは、症状が軽いために何とか社会生活に独力で参加できる可能性のあるケースばかりです。
番組を見る人に、夢と希望を与えるという基本的なコンセプトがあるため、これは当然のことで、視聴者に救いのない部分をこれでもかと、見せるわけにはゆきませんからね。
どうしてもそうなってしまうのは、仕方ないことです。
番組を見ることで「大変なのは自分たちだけではない」という意識が芽生え、それによって「救われる気分」に一時浸ることができるのが、こうした番組を見る大きなメリットなのかもしれません。
朝の障害者センターでは、子供を連れてくる様々な家族と顔を会わせるため、お互いが顔なじみになります。
こうした障害のある子供を持つと「生涯面倒を見なくてはならない」という現実に、呑み込まれ翻弄されてしまっている人と、そこで居直り闘うスピリットを身につける人とに、はっきりと分かれることになります。
数分話をすれば、どちらに属しているのかはすぐにわかります。
番組では、インド人で自分の子供にだけではなく、他の自閉症の子供に対しても「根気よく教える」という執念を持っている母親の例が紹介されていました。
彼女の子供は「軽度」のため、こうした方向に進むことが可能になるわけですが、こうした番組ではさらに切実な「もっと重いケース」で希望が持てる例は紹介されないのが残念なところです。
私の息子をわかりやすく言えば・・
言葉でのコミュニュケーションがとれない。
お金、仕事、社会などに対する概念がない。
羞恥心がない。
当然悪知恵もない。
ユーモアや、単純なジョークはわかる。
純粋。
家族の中でで最も幸せ。(のように見える)(笑)
ということになるでしょうか。
なので夢は、大小便を自分でケアできる、そして歯を磨けるようになる。
ですが何故歯を磨かなければならないのか?ということが、そもそも理解できないのです。
なので、まあ俺たち両親が死んだら、国が面倒を見てくれるさ。
最後はそこへ行き着きました。
ですが大事なのは周りの家族が、どれだけ幸せな気分で毎日を過ごせるかと言うことではないでしょうか。
そのためにまず避けなければならないのが、家族の分断。
夫が心のよりどころにならないため宗教に走る妻、経済的な余裕があるため、ストレス発散のため、ブレンドのバッグを買い漁る妻。
そして夫が最近癌になったため、さらにその傾向に拍車がかかるケースなどを現実に目の当たりにすることがあります。
こうした自閉症の子供を抱えていると、ちょっとしたことがきっかけで、いとも簡単に心が分断されてしまうのです。
問題が自閉症の本人よりも、周りに移行する例が多くなるのが、こうした「障害を抱える家族」の現実であり、それがもとで恐怖心による考え方の萎縮へ繋がってしまうのです。
何らかの事情で、妻か夫のどちらかが、自閉症の子供の周辺から離脱してしまうと、残された者がすべてを支えなければならなくなります。
こうしたリスクをどのように下げるのかは、家族の誰かが考えなければならないことなのですが、それどころではない状態に陥ってしまうと、ここは手つかずになり、さらに悪循環に陥るのです。
こうした様々なカタチでの大変さと比べれば、他の物事の大変さというのは「大したこと」ではなく、対処方法も相対的に「たやすい」ものだと感じるようになります。
つまり「救いの扉」はいつでも開かれているということなのですが、こうした考えができるようになれば、まさにオセロゲームで、黒が一気に白へ反転するかのような体験もできるというわけです。
CNNにはもう一歩踏み込んで、自閉症の本人だけではなく、大変な思いをしている「親」の心理状態を切り口にした番組を作って欲しいものです。
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