2000年10月にシアトルで購入したのが黒いボクスターS
引っ越した先に駐車場が一台しか確保できず、ボクスターを手放したのが6月の終わり。
もちろんスティックシフト。
つまりマニュアルミッション。
顛末などはこちらにまとめてあるのでご覧あれ。
でこちらからは、日本でのシルバーのボクスター。
私にとってのポルシェで初めてのオートマチック車。
その車に乗っているときは、思い入れがあるから、いいところばかりに目が行くのは当然のこと。
というわけで、2ヶ月間ミニクーパーSカブリオレに乗った今、改めてボクスターについて書いてみよう。
ポルシェに嵌ったのは、1987年の911がきっかけだった。
車を購入後、車のポテンシャルを十分に味わうために、まず自分の腕を磨かなければと、ポルシェのドライビングレッスンに3回ほど出席。
たしか2回目のタイムトライアルで、911部門で優勝。
総合優勝は944ターボを操るセミプロのドライバーだったが、実に見事なドライビングだった。
パイロンで組んだショートコースを2回走り、トータルタイムで競うのだが、最も違っていたのは、360度のターンのところ。
サイドブレーキを使った、見事なスピンターンに、参加者全員が唖然としたことを覚えている。
こうしたタイムトライアルには、スタッフから販売店の社長まで、全員が参加していたが、こういうところがポルシェを好きになる要素の一つなのかも知れない。
こういうドライビングレッスンに参加してみると、ポルシェの凄さというか、限界の高さが実感できるうえ、公道を走るときに、自分の能力のうちのどれくらいを使って走っているのかを知ることができる。
たとえばプログラムでは、水を撒いた滑りやすい路面状態で、100キロほどから急制動をかけ、目標となるパイロンを避けるというレッスンがある。
タイアをロックさせて急制動をかけるため、そのままだとパイロンにぶつかってしまう。
そのため、40キロほどに速度が落ち、パイロンにぶつかる寸前にブレーキから足を離すのだが、これが意外とできないのだ。
つまり避けなければならない目標へ近づいているときに、ブレーキから足を離すというのは、本能に反する行為だからね。
だが訓練をすれば、足を離して、グリップを回復させ、パイロンにぶつかる手前でステアリングを切り、その障害物を避けることができるようになるというわけだ。
クラッチやアクセルワークの練習では、ゼロ発進でフル加速をするのだが、コーチはスタート地点から双眼鏡で車の挙動を観察しているのだ。
つまりクラッチミートの瞬間の車のブレから、アクセルワークやクラッチのミートの具合を看取しアドバイスをしてくれるというわけだ。
こうしたプログラムで腕を磨き、ポルシェを走らせてみると、ますますその魅力を実感できることになるわけで、こうした催しを積極的に開催するところなどは、さすがポルシェ。
ということで、レースもやってみたが、カミサンとか娘が余り興味がないようなので、本格的にやるとなると自分一人だけが参加するというスタイルになるのでパス。
このあたりはゴルフをやらない理由でもあるんだけどね。
渡米してからは、ミアータ(当時のマツダロードスター)、そしてボクスターSということになったのだが、フリーウェイが整備され素晴らしいワインディングロードが至る所にあるアメリカでのポルシェは実に生き生きとしていた。
そのため日本へ戻ってから始まった2005年からのボクスターとの生活が、どうしても色褪せているように思えてしまったのは、仕方のないところかもしれない。
カミサンや娘も運転できるようにと、ポルシェでははじめてのオートマチック車を購入したのだが、彼女たちには不評で結局、ほとんど乗らずじまい。
こうした理由で3年で走ったのは、9,000キロに満たない距離だったが、車の出来はいいものの、銀座に住んでいるとポルシェのポテンシャルは、ほとんど使うことがないのが実情だった。
私は車を足代わりに使うため、そうなると、どうしてもミニの出番が多くなってしまう。
日本ではミニの右ハンドルはボクスターの左ハンドルよりもいろいろな場面で、圧倒的に便利だ。
いざとなれば4人が乗れるうえ、カブリオレとしては秀逸なサンルーフの機能を備えた幌は、道具としての車の魅力でいえば、遙かにボクスターを上回っていた。
だから売る事を決めても未練はなく、売ったアトも「売らなければ良かった」と感じることが全くないというのがちょと意外だった。
ボクスターを持っているときに余り乗ることがなかったミニを毎日運転してみると、意外といい車だということに気がつき始めたこともあって、今ではすっかりミニが気に入ってしまっているのだ。
この点については、また改めて書いてみようと思う。
出典
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