今日はこのテーマについて、まとめてみた。
まずその原因を調べるには、日本映画の仕組みを知らなければならない。
というわけで調べてみると、日本映画は映画制作会社が映画作品を提供する配給会社を通して配給し、映画館を経営する興行会社が上映するという仕組みになっている。
これは「ブロックブッキング」と呼ばれているようなのだが、つまりは配給と興行が一体化されたシステムによって提供されていることがわかる。
つまり映画館というのは東宝、松竹、東映のような大手によって、系列に分かれており、上映する映画館は年間のスケジュールがあらかじめ決められているのだ。
逆に言えば映画館は、東宝、松竹など大手配給会社の系列支配に縛られていることになる。
そのため、どうしても作品のヒット如何にかかわらず、系列の映画館は、スケジュールを消化するだけ、ということになってしまいがちだ。
映画を予定通り制作して流通させる商売という視点から言えば、理想的なシステムのように見えるが、実はこのシステムこそが、日本映画産業の衰退の原因となっているのだ。
一方で洋画系の配給システムは「フリーブッキング」と呼ばれ、原則として配給会社、興行会社の自由競争という形で市場が形成されているが、日本では シェア60%の東宝(TY)系と25%の松竹・東急(SY)系という2つの大手興行チェーンに独占されている 。
もう一つのマーケットとしてミニシアターがあるのだが、こちらは全国ロードショーができないため、基本的に経営者自身が大手配給網に乗らなかった芸術性の高い作品を上映することが多く、どちらかというと、ニッチ市場を狙った映画館の形態だ。
一方アメリカでは1948年に独禁法が適用されたため、連邦最高裁によってハリウッドの制作メジャー各社は、系列映画館への支配ができなくなってしまったのだ。
つまり、製作と配給はできても、興行までを同じ会社が行うことはできないため、映画制作側にとっては、確実に劇場で上映されるという保証がなくなってしまう。
当然のことながら独占禁止法のあと、映画の制作本数は著しく減少することになったのだが、さらにテレビというメディアの登場でハリウッド映画産業 は不況のドン底へと転がり落ちてしまったというわけだ。
メジャー各社は当然のことながら制作本数を減らすことになるのだが、1960年代後半からは逆にインディペンデント・プロデューサーによって製作された作品の本数が増 えてきたのだ。
インディペンデント・プロデューサーというのは、メジャーに所属しない いわゆる一匹狼で、その作品の中からは「俺たちに明日はない」「卒業」「イージーライダー」「ゴッドファーザー」などの名作が続々と誕生することになる。
このような経過を経て、それまで減り続けていたアメリカの映画館入場者数は、1972年から現在まで、ずっと増え続けている。
さらにアメリカでは、後にテレビ局へも独占禁止法が適用され、一定以上の番組外注が義務づけられたため、以後テレビドラマはもっぱらハリウッドが制作することになる。
つまりアメリカの映画界は、独占禁止法を適用することで、自由な競争を生み出し、それが映画ビジネスを成功させることに繋がったという見方ができるのではないだろうか。
一方で独占禁止の適用という洗礼を受けなかった日本の映画界は、大手映画会社の系列支配が続き、さらに大手はテレビによって斜陽化することになる。
ハリウッドと同じように自前の映画製作を控えるようになったわけだが、ヨーロッパなどに比べると、日本では国内映画の興行収入比率が高いのが特徴だ。
しかも邦画の封切り本数は減っているにも関わらず、興行や配給収入が伸び続けているのは、入場料の高さに加え「前売り券制度」によるものだ。
「前売り券制度」は日本独自の制度で、企業や団体による大量購入 に頼って映画の配給を決める方法で、映画に投資した企業などが大量の前売り券を引き受けることになる。
いわば関連の団体やら出入り業者へ強制的に割り当て、配給側の収入を最低限保証しようというわけだ。
だが会社から最低保障されているサラリーマンの身では、リスクを背負い一匹狼となってダントツに面白い映画を作ってやるというような気概が生まれないのは当然のことだろう。
世界の映画ビジネスでは、香港映画であれイギリス映画であれ、アメリカマーケットを無視するわけにはゆかない。
アメリカの観客を意識し ながら、ストーリーや演出を考えるという姿勢が不可欠になり、世界中の観客に幅広く受け入れられるための努力が必要になる。
言い換えれば、世界中に存在する映画の面白さと素晴らしさを理解している人たちに受け入れられなければ、世界的なヒットは望めないのだ。
こうして比べてみると、日本は米国の1960年代後半に似ているようだが、映画ビジネスを取り巻く情勢は相当に違っているのが現状だ。
ビジネスとして映画事業を考えると、映画館でのチケット売上 という「興行収入」から興行収入の50%前後にあたる映画料を配給会社に支払うという図式になっている。
つまり配給会社は映画料が「配給収入」となるわけだが、この配給収入から宣伝費 やプリント、配給手数料等を差し引き、制作会社とで分配する仕組みになっている。
つまり興行収入は映画館>配給会社>制作会社の順に 支払われることになるため、作品がヒットしなければ、配給会社、制作会社は投下資金を回収できなくなるわけだ。
分け前を貰えるのが最後となる制作者のリスクは 当然大きくなるわけで、これが自由で面白い作品が日本で生まれない原因だと言われている。
こうした構図では、大手3社の映画会社は、こうしたリスク を避けるため、自社制作作品を減らし、配給面を強化するという傾向になり、東宝などでは利益率の高い不動産事業の強化で 収益を確保するといった案配になっている。
現在では大手が出資した独立系製作会社が映画を制作して配給するというパターンが大半だ。
だが独立系の制作製作会社は劇場を持っていないため、上映は大手全国チェーンか、ミニシアターかを選択しなければならない。
大手チェーンで上映するためには当然資金が必要となる。
大手配給会社に配給手数料、その他の経費を支払わなくてはならず、当然取り分は少なくなる。
だからといって逆にミニシアターだと、映画館の数が少ないため興行収入が上がらず、制作費が回収できなくなるわけだ。
そのため日本映画の制作費は世界のマーケットで成功できるだけの 十分な資金を投入することができないばかりか、逆にいえば小さなマーケットでは採算が合わなくなるというジレンマのため、中途半端な3億円程度の制作費となってしまっている。
つまり、面白い日本映画を作ることができない原因の一つ は、市場規模が中途半端だという点にもあるようなのだ。
映画という商品は実際に鑑賞してみないと面白いかどうかはわからないというため、「口コミ効果」による宣伝が意外と効果を発揮する。
そのためミニシアターでは、十分な宣伝費が出せないため、この「口コミ効果」に頼ることになるのだが、現状の「ブロックブッキング 」という日本の映画の制度では、その効果を十分に発揮させることができないのだ。
つまり配給会社が設定した年間スケジュールに従って上映する場合、「口コミ効果」が現れる頃には上映を打ち切らなければならなくなってしまう。
ということは、これからと言うときに上映をやめてしまうことになるうえ、逆にヒットしない映画でも決められた期間は上映しなければならないというジレンマに陥るわけだ。
このように映画館側に、上映するかどうかを決める「決定権」のなさは、ブロックブッキングという制度が生み出しているともいえるだろう。
それでも日本の映画館が配給会社に従ってきたのは、東宝では「ゴジラ」や「ドラえもん」、松竹では「寅さん」や「釣りバカ日誌」、東映では「東映マンガ祭り」 などという一定の観客が入る作品を制作会社が提供し続けてきたため、映画館側はトータルで黒字にすることができたからだ。
このように、配給会社は決まった系列館にだけ作品を供給するため、映画館は配給された映画を上映するだけになってしまう。
制作側にとっても映画を作る際には年間ラインナップを埋めるためだけの映画作りとなり、結果的に映画の質が低下し続け、観客は離れてゆくという悪循環を繰り返すことになる。
映画ビジネスとしての構造的な問題によって「よい作品を作ろう」という緊張感やモチベーションが低下し続けたために、映画産業が衰退 してしまったというわけで、日本の大手映画会社の独占によるブロックブッキング制度によって、営業努力が存在しなくなってしまっているのだ。
だが映画ビジネスを成功させることはそれほど難しいことではない。
良い作品さえ制作できれば、興行収入が増えるため制作会社は製作費を回収できるため、それがまた良い作品を作るための原動力になるわけだ。
アメリカのハリウッドは、テレビの登場の影響を受けて一旦沈みかけた ものの、インディペンデント・プロデューサーの良質な作品の提供に引き続き「Star Wars」などの大作化で製作費と宣伝費をつぎ込み、 観客を取り戻すことに成功したのだ。
映画館が独立している米国では「これはいい作品で客が入りますよ」というセールスに対し、それぞれの映画館経営者が「客が入る作品だ」ということで上映を決めると、あっという間に全米ロードショーへと拡大するという仕組みになっている。
おまけにテレビ放映では興行収入の約2倍弱、DVD化で約3倍弱を稼ぐことができるため、映画製作者側は 、良い作品を作ろうというモチベーションも上がるというわけだ。
だが現在の日本では、良い作品を作るための資金を集めることができない構造になっている。
さらに映画を制作する側の人材の育成という点から見ても、アメリカで は2,000の大学のうち約700校に映画学科があるのに対し、日本では専門学校や私立の教育機関を含めても両手で数えるほどしかない のが現状だ。
さらに映画ビジネスに、他の産業から資金が流入しないのは「映画ビジネス」のリスキーさによるものだろう。
映画が制作されると劇場公開と同時にDVD化され、有料TVや衛星放送、地上波放送で資金を回収するのだが、約2年間で賞味期限は切れてしまう。
賞味期限がたった2年の商品に、実に数億円から数百億円という投資をしなければならないうえ、映画というのはリピート率が極めて低い商品だということを忘れてはならない。
つまり基本的には短期で収益を上げなければならない商品のため、ハリウッドのメジャーのように、できるだけ短期間で制作して、一定のレベルの映画を作り出す必要があるわけだ。
映画ビジネスというのは、このように扱いにくいリスキーな商品を扱うビジネスなのだが、だが「前売り券制度 」や大手映画会社の独占支配でやりくりしてきた、いわゆる「甘い殿様商売」に慣れてしまっている日本の映画産業には、もはやそうしたチカラも気力も残っていないというのが現実だ。
というわけで、何故私が日本映画を見ないかという答えは、制作されている映画の質が全体的に非常に低いからで、これは上記のような構造を考えるととても納得のゆくものなのだが、しかし日本人としてはとても残念なことだ。
日本にも独占禁止法を適用して、アメリカのビジネスモデルを真似すれば良いと思うのは、私だけだろうか?
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