ブログで日記を書いていますが、あまりコメントが貰えないのでちょっと悩んでいます。別にコメントを書いて貰えなくっても良いや!と思う反面私の書いた事に対して時々は意見を書いて欲しいなあー。なんて思う心もあったりでビミョーに最近の私の心は揺れ動いている状態なのです。
はっちさんはこう言う事で悩んだりした事はありませんか?
というご意見をいただきました。面白いテーマなのでちょっと触れてみたいと思います。普通のホームページの形態では、コメントや感想などの意見をもらうには、メールによる手段だけに限定されます。
読む側からすると、メールを出すというのは、ブログのコメントに比べて、どちらかというと、少し勇気?が必要になります。
そのため、日記を書く側からするとコメントが貰いやすいブログというのは、かなり魅力的に写るはずです。
また読者側にしても、いつでも気軽にコメントを書けるという仕組みは、書き手との心理的な距離をより近く感じることができると思います。
日記がブログの形態へ移行する流れの背景には、こうした事情というのはかなり大きなウェイトを占めるではないでしょうか。
5月頃から、ソーシャルネットワークサービスで日記を書いていますが、トレードのことについては、いまのところ一切触れていませんので、内容としてはいわば普通の日記です。
こうしたクローズドなネットワークでの日記では、ブログ以上にコメントが書きやすい仕組みのため、ここで書いているものを、少し手直しして掲載していますが、どれくらいの反響があるのかを、簡単に知ることができます。
私の場合「コメントを書いてもらえなくってもいいや」という達観の境地にはまだ達していません。
どちらかといえば、コメントがないと「どうしてないのか?」と悩む方でしょうね。
煩悩は108つ以上かな!(笑)
「コメントがなくってもいいや」っていうのは、イソップ物語でキツネがおいしそうなブドウがどうしても取れなくて「あんな酸っぱそうなブドウはいらないや」とちょっと拗ねる気分と、似ているのかもしれません。
冗談はさておいて「コメントが欲しい」というのは日記を書いている以上、当たり前の感情だと思います。
単に記録を残したいだけなら、紙の日記に一人で書き込めばいいわけです。
ですがネットを通じてクローズドなネットワークで日記を書くというのは、どれくらい意識をするのかという度合いの強さの違いはあっても、基本的にはコミュニケーションを取るためのきっかけになるものなのだと思います。
私が日記を書き始めた5月頃は、書き込まれるコメントの数は少なく、増やすためには何をすればよいのか、という点について考えるとてもよい機会でした。
クローズドなネットワークでの日記ではコメントの数だけではなく、「足あと」の数の増減をチェックすることで、どれくらいの人がリピーターとして来てくれるのかがわかります。
日記をアップすると、一定時間「新着日記」へ表示されます。
ですがアップされる日記の数が多いため、直ぐにリストからは消えてしまうのですけどね。
ですが、そこで表示されたものをご覧になった方は「足あと」をたどって、その書き手の日記を見ることができる仕組みのため、一度だけは見に来られます。
ですがそこで自分が書いている日記が面白くなければ、もう一度見に来てもらえる確率は減ります。
もし100人が見に来られたとして、その中からわざわざコメントを書き込もうとする方の割合というのは、どれくらいのものなのでしょうか?
はっきりしたことはわかりませんが、どちらにしてもかなり少なくなることは確かです。
こうして考えてみると、コメントを書き込んでもらうというのは、かなり難しいことだということがわかります。
ですから、「足跡帳」を作って、訪問された方が書き込みやすくするなどの仕掛けを作って、まずは気軽に書き込んでもらおうなどというように、日記を書く側からも、いろいろな工夫をされています。
たくさんコメントをもらうためには、どいう点に注意をすればよいのでしょうか?
いろいろと試行錯誤した結果、一つの方法として、日記の途中で読む人に投げかける一文を入れるという工夫をすることで、リピーターからコメントがもらえる確率は高くなります。
さらに私が書くときに気をつけていることは「うっかり結論を断定してしまわない」ように書くという点です。
ではここで文章の語尾を単純に変化させて、それぞれがどのような印象を受けるのかを見てみましょう。
共感を得られる日記になっているのではないでしょうか。
共感を得られる日記になったのだと思います。
共感を得られる日記になっているはずです。
共感を得られる日記になっています。
共感を得られる日記です。
一番上は、読み手に投げかけ、考えさせる終止形です。
次は、書き手が考えを述べています。
その次になると、少し強要するようなニュアンスが入っています。
次は断定が入り、最後は客観視したような表現で決め付けています。
面白いことに、文の長さが短くなるにつれて、読み手に対して強く結論付ける度合いが強くなっているように感じると思います。
ただ内容によっては、決め付ける部分もないと、そこでの結論や言いたいことについての説得力の欠けたものになり「そうだよね」という共感を得るという要素が薄まってしまいます。
大事な点は、共感を得るところと、一緒に考えてもらうという、2つのメリハリをしっかりつけるという点ではないでしょうか。
いろいろな日記を、こうした視点から分析をするという目で見ると、また違った面白さが見えてくると思います。
ソーシャルネットワークサービスでは多くの日記が掲載され、簡単にたくさんの日記を読むことができます。
会話と同じで人の話をよく聞く、つまり面白い日記に出会ったら、よく読むというのは、何が面白いのか?を追求するうえでは、かなり重要なポイントになるのではないかと感じています。
そして、面白い日記と感じる日記が何故面白いのかを、考えてみるという習慣が身につくと、日記だけではなく、いろいろなものをもっと読んでみたくなると思います。
書き手がどういう気分で書いたのだろうか?などと想像しながら読んだりするというのは結構楽しいものです。
クローズドなソーシャルネットワークサービスの一つに参加して日記を書いてみるというのは、日記で煮詰まっている方にとっては、かなり効果のある処方箋かもしれません。