面白い映画というのは、冒頭部分から観客を引きずり込むチカラを持っています。
結末が想像できないような意表を衝いたストーリーが2つか3つ展開され、観客が予想する展開をことごとく裏切り、予想もしなかった方向へ展開する。
優れた映画はこうした要素を、大なり小なり必ず持っています。
欧米の優れた映画の大半は、優れた小説をもとに映画化されることが多いのですが、それを映画の手法にマッチさせる脚本こそが、その映画の運命を握っているのです。
脚本というのは、映画の特性をどのように生かして、観客に見せるのかという点までも考えて書かれています。
素晴らしい曲は、素晴らしいアレンジによって、さらに魅力的になるのと同じことですね。
逆に言えば、アレンジがまずいと、曲の魅力が全くなくなってしまうこともあるわけです。
例を挙げてみましょう。
妻が台所で料理中に、てんぷら油に引火し火の手が上がる。
というシーンがあるとします。
脚本1:夫が、大声で「火事だ!早く消せ!」と大声で叫ぶ。
脚本2:夫の目線は、火のそばにおいてある、卓上ガスコンロ用のボンベに釘付けになり、声が出せない状態になっている。
どちらの方が、観客に恐怖感を与えることができるでしょうか?
脚本1では「大火事になりそうだから、火を消さなければならない」というシーンは観客が見てすでにわかっていることですから、夫が「火事だ!早く消せ!」と大声で叫んでも、それ以上の恐怖感を増幅させることはできません。
脚本2だと、火のそばにおいてある、卓上ガスコンロ用のボンベに引火すれば、さらにひどい状態になるだろうということを観客に想像させることで、より観客の恐怖感を煽ることができます。
このように、脚本家のイマジネーションが低いと、観客側の想像力が上回ることになり、同じシーンでも全く面白く感じなくなってしまうことがよくお分かりいただけると思います。
面白い日記を書くときにも、こうした点を少し考えて書くことで、同じ内容のものでも読み手には全く違った印象を与えることができるのです。
お客さんをもてなすには、日記という料理をよりおいしそうに、器に盛り付けることも大事なポイントとなります。
おいしそうに見える盛り付け方には、ルールとパターンがあります。
そこでルール2
結末や要点がすぐにわかってしまうような出だしは避けること。
これが、「本文の内容やオチから離れた位置から書き始める」ということです。
自分が書きたい結論が簡単に推測できるような、「まとめ」を冒頭に書いてしまうと、読者は読み進むにつれて、急速に興味を失ってゆくことになります。
あなたが書いた結論にたどり着く前に、歩くのをやめてしまうような標識を表示してはなりません。
ワクワクしながら読んでいるうちに、いつの間にか「そういうことねえ・・なるほど」と思ってもらえるように、スタート地点からゴールの様子が見えないようにしましょう。
次はルール3です。