2005年06月 のCoolに過ごそう

面白い日記にするための方法その2

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書けばいいこと書いてはいけないこと

◆・・・シンプルで読みやすい日記がいいなと思いますが、シンプルすぎると味気なくなってしまう気がしてその辺のバランスがいつも難しいなぁと思ってます。 まぁ、その時々でバランス取ったり、外してみたりしてるだけなんですけどね。

というコメントをいただきました。

確かにシンプルで読みやすい日記というのは一つの理想の形ですが、どうしても「シンプルすぎると味気なくなる」ということになってしまいがちかもしれません。

これを解消するためには、目的を明確にしてテーマを凝縮させた内容の密度を高いもの書けばいいのです。

これは、文体はシンプルで読みやすいのだけれど、目からウロコが落ちる文章を書くための一つの考え方です。

 

多くの人に読んでもらうために、文章がうまくなりたいと考えるのならば「うまく書く訓練をしながら」書けばいいわけです。

そのためには、書いてはいけないことがあります。

それは「気持ちを吐き出す」ための日記は書かないということです。

 

会社でいやなことがあったり、思わぬ楽しいい事があった場合は「書きたいように書いて、さっぱりすっきりする快感」に浸りたくなります。

こんなに感激しているのだから、一人でも多くの人にこの感激を伝えたーい!!

ストレスが溜まっているから、書いてガス抜きをしたーい!!

わかります。

 

ですが少し冷静になって考えてみてください。

友達と電話で話をするのならともかく、こうした出来事を「うんうん、わかるわかる、そうだよね」と読む人にその時の感情が、よーくわかってもらうように書くというのは、至難のワザです。

これが書けるようになるには「小説家になれるかもしれない」というレベルの技術と感性と経験が必要になると思います。

 

ですからそういう独りよがりになりやすい、いいかえれば読む人の共感を得るという点からいえば「リスキーな日記」を書くのは賢明ではありません。

絶対に書いてはいけないというのではありませんよ。

書くことがうまくなりたいのなら、最初のうちは、できるだけこうした目的で書くのは、避けたほうがいいということなのです。

 

そうして書くことがうまくなってきたら「書きたいように書いて、さっぱりすっきりする快感」のためにまた日記を書けばいいのです。

前よりもうまく書けるようになってきたら、こうした内容の日記でも、以前よりもはるかに共感を得ることができる可能性は高くなっているはずです。

ですから、こういう「自分のための日記」は書きたいときにあらかじめ書いておき、たとえば週末はこうした種類の日記をアップする、などというようにすれば、毎日同じような日記が続くことがなくなります。

メリハリのあるバラエティー豊かな日記が、できあがるというわけです。

 

 
ただそうなると「書きたいことを書きたいように書く」のをやめるわけですから、あなたは「ある制約の中で、大変な思いをして書く」ことをしなければなりません。

「書きたいことを書きたいように書く」ことに慣れていいた場合、こうした制約を設けることによって、ある種の矛盾や摩擦や葛藤が生まれます。

ですが、それを乗り越えたときにはそこに価値が生まれ、読む人の心へ深く到達することができるようになります。

 
たとえばあなたが「安くてうまい」ランチを食べたいと思っても、基本的に「うまい」ものは高いわけです。

ですが、そこであきらめたりはしませんよね。

あきらめず、安くてうまいところを探すという、努力や工夫を続ければ、やがて目標としている「安くてうまい」ランチを探し当てることができるようになります。

それを友達に教えることで、あなたには「安くてうまいランチを教えてくれた」という価値が生まれるわけです。

 

 
ではその肝心の制約についてですが、これは何か興味のあるもの、例を挙げると、諺や格言を一つテーマにするというような方法があります。

これがここでいうところの、制約をつけるということなのです。

たったこれだけなのですから、何も難しくはありませんよね。

一つのテーマを決めたら、それを常に頭の片隅に入れておくだけで、書いてゆくうちに文章は自然にマッチするようになってゆきます。

 
例を挙げると、たとえば次のようなフレーズです。

 
◆一度に一つずつ行え。あたかも自分の生死がそれにかかっているように - U・グレース

 
◆慣習とは反対の道を行け。そうすれば常に物事はうまくゆく - ジャン・ジャック・ルソー

 
  

大事なことは、「意識をする」ということです。

うまく書けるようになりたいという強い力があれば、こうしたテーマを意識することで、書く内容は、知らずしらずのうちに、テーマへ引き寄せられてゆきます。

この効果には実際にやってみると、きっと驚かれるはずです。

 

こうしたことを継続することで、やがて自然に書くときには「テーマを決める」というように繋がってゆきます。

必要な情報は、探し続けていると自然に集まってくるもので、最初はうまく行かないように思うかもしれませんが、続けているとだんだんとそういうふうになってきます。

テーマを意識して書くという習慣がだんだんと身についてくると、あなたの書いたものは、見違えるように変わってゆくはずです。

 

 
◆習慣は、最高の召使いか最悪の主人のいずれかだ - ナサニエル・エモンズ

 

 
最後にオマケ。

どうしても「ストレスが溜まっているから、書いてガス抜きをしたーい!!」

という衝動を抑えきれなくなったら、海へ行って「バカヤロー」と叫ぶことです。

 

そういえば昔青春映画にそういうシーンがありましたね。

海へ行って「バカヤロー」と叫んだ

というタイトルの日記も翌日書けますしね。
 

日記を面白くする方法 その1

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ブログの普及でネット上で日記をつける方が増えていますが、書くことがないとか、どうもアクセス数が増えない・・といったときにはどうすればいいのでしょう?

7年以上一応日記というものを書き続けてきた経験から、コツというと大げさかもしれませんが、ヒントになるようなことがいくつかありますので、シリーズでお届けしようと思います。

日記はもともとプライベートなことを書いて記録しておくためのものですから、人が読んで面白くても面白くなくても、全くかまわないわけです。

 

本来は外との交流がないものなのです。

ですがネット上で「日記」を書く場合は、「日記」といっても今までの日記の概念を変えた方がいいのではないでしょうか。

 

ネット上での日記では、誰かはわからないけれども、とにかく誰かに読んで欲しいと思って書くわけです。

たとえ最初は記録だけのためという目的で始めたとしても、書いた以上誰かに見てもらいたいと思うのが普通ですからね。

言い換えれば、読む人とのコミュニケーションのための入り口といっていいと思います。

ですからネット上での日記は、一般な日記とは「日記」という名前は同じであっても、全く別物だと考えています。

  

ネット上ではたくさんの日記を読むことができます。

ほとんどは、次のように「事実」 + 「感想」という構成で書かれています。

  

昨日こういうことがあった。「事実」

で楽しかった。「感想」

  

あそこへ行った。「事実」

また行きたい。「感想」

  

いわゆる小学校で習う作文の基本です。

自分だけの日記であれば、全く問題ありませんね。

  

これを誰かが読んだ場合「自分も同じような体験があったから気持ちはよくわかる」ということがありえます。

つまり書き手が「自己完結」している世界と、読み手が「自己完結」している部分が交わったとき「同じような体験」があった場合には共感が生まれ、それが「コメントを書く」というように発展することになります。

ですから書き手が誰かと友達になりたいと思ったら「そうだよねえ」という誰にでも共通する部分を、どんどん増やせばいいのです。

 

ただこの場合、共有する世界のレベルが一段階だけのため、とても浅いのです。

ですから同じパターンが続くと、その体験の内容のバリエーションがどれだけたくさんあっても、すぐに飽きてしまいます。

やれディズニーランドへ行ってきてどうだった、あそこでこれを食べておいしかったというのばかりをたくさん見ていたら、月とか火星へでも行かないとなあ・・となってしまいます。

ってちょっと極端ですけど、まあそういうことになりがちです。

つまり同じパターンは飽きるのです。

 

そこで対策1

「事実」と「感想」のバランスは、「事実8:2感想」くらいになるように努力しましょう。

というのは感激すると、どうしても「事実2:8感想」というようになりがちだからです。

ここで注意したいのは、読んでいる人が書き手と同じ体験したわけではないという点です。

 

一緒にその体験をしたのなら、「事実2:8感想」でも、「そうだよねえ楽しかったねえ」と盛り上がることでしょう。

ですが、体験を共有していない場合は「事実2:8感想」だと「よくわからんけど、楽しかったんだね」とスネたりするわけです。

というようなことはないかもしれませんが、まあ「たとえ」ですからね。

 

ですから書く人はちょっと面倒かもしれませんが、かなり細かく客観的に「事実」を説明するようにしてください。

それも視点は第三者の目で、できるだけ客観的にです。

ですから「感想」の部分は体験したその当日に書いておいて、翌日の朝にでも「事実」の部分を付け加えて書くというのは、なかなか効果的な方法だと思います。

 

「事実」の描写は客観的であればあるほど、そのあとの感想の持つ独断と偏見の対比が際立つため、書かれたものはより面白く感じることになります。

この部分の分量が多くなってくると、書き手の視点や、補足資料の調べ方や、それをどうまとめるかというようなことをてがかりに、読む人は書き手のことを「理解 し始める」というプロセスが生まれてきます。

自分はこういう性格なんですよ、こういうところがあるのですよ、ということを書き手が書かなくても、読み手に伝わるのです。

 

それどころか、書き手が自らのことを自分で説明するよりも、より強くストレートに伝わるといってもいいと思います。

もちろん読み手の人生経験や推測能力によって、理解度の個人差はありますけどね。

このように「事実」を積み重ねた「8」の説明によって、読む人は書く人の体験した世界のより近いところから見ることができるようになります。

 

そのため書く人の感想が「2」であっても、読む人はそれを自分の感性で勝手に付け加えて補ってくれます。

かなりラッキー!な展開ですよね。

運がよければ「そうだよねーえ!!!」と激しく同意してくれるでしょうし、運が悪くても、「これだけ一生懸命に説明してくれたんだから」という今度は少し違った側面から、「 また読みたい」と思ってくれるかもしれません。

 

続く・・

 

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