ブログの普及でネット上で日記をつける方が増えていますが、書くことがないとか、どうもアクセス数が増えない・・といったときにはどうすればいいのでしょう?
7年以上一応日記というものを書き続けてきた経験から、コツというと大げさかもしれませんが、ヒントになるようなことがいくつかありますので、シリーズでお届けしようと思います。
日記はもともとプライベートなことを書いて記録しておくためのものですから、人が読んで面白くても面白くなくても、全くかまわないわけです。
本来は外との交流がないものなのです。
ですがネット上で「日記」を書く場合は、「日記」といっても今までの日記の概念を変えた方がいいのではないでしょうか。
ネット上での日記では、誰かはわからないけれども、とにかく誰かに読んで欲しいと思って書くわけです。
たとえ最初は記録だけのためという目的で始めたとしても、書いた以上誰かに見てもらいたいと思うのが普通ですからね。
言い換えれば、読む人とのコミュニケーションのための入り口といっていいと思います。
ですからネット上での日記は、一般な日記とは「日記」という名前は同じであっても、全く別物だと考えています。
ネット上ではたくさんの日記を読むことができます。
ほとんどは、次のように「事実」 + 「感想」という構成で書かれています。
昨日こういうことがあった。「事実」
で楽しかった。「感想」
あそこへ行った。「事実」
また行きたい。「感想」
いわゆる小学校で習う作文の基本です。
自分だけの日記であれば、全く問題ありませんね。
これを誰かが読んだ場合「自分も同じような体験があったから気持ちはよくわかる」ということがありえます。
つまり書き手が「自己完結」している世界と、読み手が「自己完結」している部分が交わったとき「同じような体験」があった場合には共感が生まれ、それが「コメントを書く」というように発展することになります。
ですから書き手が誰かと友達になりたいと思ったら「そうだよねえ」という誰にでも共通する部分を、どんどん増やせばいいのです。
ただこの場合、共有する世界のレベルが一段階だけのため、とても浅いのです。
ですから同じパターンが続くと、その体験の内容のバリエーションがどれだけたくさんあっても、すぐに飽きてしまいます。
やれディズニーランドへ行ってきてどうだった、あそこでこれを食べておいしかったというのばかりをたくさん見ていたら、月とか火星へでも行かないとなあ・・となってしまいます。
ってちょっと極端ですけど、まあそういうことになりがちです。
つまり同じパターンは飽きるのです。
そこで対策1
「事実」と「感想」のバランスは、「事実8:2感想」くらいになるように努力しましょう。
というのは感激すると、どうしても「事実2:8感想」というようになりがちだからです。
ここで注意したいのは、読んでいる人が書き手と同じ体験したわけではないという点です。
一緒にその体験をしたのなら、「事実2:8感想」でも、「そうだよねえ楽しかったねえ」と盛り上がることでしょう。
ですが、体験を共有していない場合は「事実2:8感想」だと「よくわからんけど、楽しかったんだね」とスネたりするわけです。
というようなことはないかもしれませんが、まあ「たとえ」ですからね。
ですから書く人はちょっと面倒かもしれませんが、かなり細かく客観的に「事実」を説明するようにしてください。
それも視点は第三者の目で、できるだけ客観的にです。
ですから「感想」の部分は体験したその当日に書いておいて、翌日の朝にでも「事実」の部分を付け加えて書くというのは、なかなか効果的な方法だと思います。
「事実」の描写は客観的であればあるほど、そのあとの感想の持つ独断と偏見の対比が際立つため、書かれたものはより面白く感じることになります。
この部分の分量が多くなってくると、書き手の視点や、補足資料の調べ方や、それをどうまとめるかというようなことをてがかりに、読む人は書き手のことを「理解 し始める」というプロセスが生まれてきます。
自分はこういう性格なんですよ、こういうところがあるのですよ、ということを書き手が書かなくても、読み手に伝わるのです。
それどころか、書き手が自らのことを自分で説明するよりも、より強くストレートに伝わるといってもいいと思います。
もちろん読み手の人生経験や推測能力によって、理解度の個人差はありますけどね。
このように「事実」を積み重ねた「8」の説明によって、読む人は書く人の体験した世界のより近いところから見ることができるようになります。
そのため書く人の感想が「2」であっても、読む人はそれを自分の感性で勝手に付け加えて補ってくれます。
かなりラッキー!な展開ですよね。
運がよければ「そうだよねーえ!!!」と激しく同意してくれるでしょうし、運が悪くても、「これだけ一生懸命に説明してくれたんだから」という今度は少し違った側面から、「 また読みたい」と思ってくれるかもしれません。
続く・・