2007 0915-
0930 Sun.
クロマキー合成
クロマキーというのは、特定の色の成分から映像の一部を透明にし、そこに別の映像を合成する技術で映画のCGなどでお馴染みのアレです。
写真の世界でも、こういうのを見ると、欲しくなります。
これはROBUSKEYというソフトを使ったもので、完成度の高さはちょっと感激モノ。
ただしこのソフトは8万円というフォトショップが買える値段で、なおかつこちらにあるように緑のバックで対象物を撮影しておかなければなりません。
私のように仕事で使うわけではない場合、そこまでして撮影する時間も手間もかけたくないわけです。
こちらからダウンロードして使ってみましたが、やはり背景が緑でないとうまくゆかないのです。
背景がブルーのバージョンも現在開発中だということですが、どちらにしても単色を背景にして対象物を撮影しておかなければならないというのが、ちょっと越えられない壁ですね。
フォトショップでも対象物を切り抜き、背景と組み合わせるためのマスキングのためのツールがいくつかあります。
日記「フォトショッパーへの道」で書きましたが、一応基本的なことは習ったので、私も使うことがあるのですが、きちんと仕上げようと思うと、何しろ時間がかかります。
mixi
へアップする写真一枚一枚に、そんなには時間をかけてはいられませんしね。(笑)
でも写真にちょっとしたスパイスを振りかけるには、合成という「大技」で使うときのテクがあると何かと便利で早くできるのです。
たとえば青空の色を綺麗にしたい場合、空以外のゾーンを切り抜きマスキングをしてから、効果を加えたほうが、仕上がりは断然自然で美しくなります。
つまり「いかに手早く選択する範囲を作成できるか」が勝負になるわけです。
そういうときは「道具に頼ってしまおう」という「シロートの王道」をまっしぐらに突き進むことにしています。
で、イロイロ探し回って見つけたのがこのソフト。
こちらにチュートリアルがあって、特徴や使い方
が解説してあります。
英語ですが、まあ見ていれば大体分かりますね。
上はトライアルで夜景を無理矢理合成してみました。
ちょっと、強引ぐマイウェイ?(笑)
たとえば上の写真の窓に、下の写真の夜景を填め込む場合、フォトショップだとかなり手間です。
かかかるであろう時間を考えると、仕事でもなければ、やってられません。^^;
でもこのソフトだと、慣れるとかなり早くできるのです。
この説明のために作ったので、細かいところは、手抜きですが、メゲない程度の時間で、これくらいはできるというわけです。
とはいえテーブルの写り込みが明るすぎるとか、左のベランダに当たる太陽光など、あまりにも不自然なので、「やっつけ」で修正したのが下の写真。
まだ2,3時間しか使っていないのですが、慣れてくればもっと早くできるでしょうし、その気になれば、それなりの完成度の高いものができそうです。
といってもプロの人に見られると、穴に入らなければなりませんが・・(笑)
現在30日間の無料トライアル中ですが、このサイトで買うと239ドル。
トライアルがあと29日残っているので、もう少し使ってみますが、道具に頼るシロートとしては、多分買うかな?^^
0929 Sat.
朝食は必要か?
日記「肌荒れとアトピー性皮膚炎撃退法」で管理栄養士を目指して大学に通っていらっしゃる方から、コメントをいただきました。
私は管理栄養士を目指して大学に通っています。朝食を摂ることは栄養面ではとても大切なことです。欠食者には学力低下,怒りっぽい,注意力散漫などの特徴がみられます。
欠食は朝食でないといけないのでしょうか? 朝食の献立改善では問題解決は無理なのでしょうか?
コメント欄へ書き込むと長くなりますので、今日は日記でこのご質問についての見解を中心に書いてみようと思います。
上記の日記にも書きましたが、今日の日記も、甲田先生の「朝食を抜くと病気は治る」マキノ出版 ISBN4-8376-1196-6
の該当箇所から引用し、まとめたものですので、さらに詳しいことを知りたい方は、この本の購入をお勧めします。
現代の医学や栄養学の権威が朝食は必要という最も大きな理由は、午前中に脳を活発に働かせるための活動エネルギーを確保するためです。
つまり朝食をとらないと、糖質が不足して血糖値が下がるので、午前中、脳も体も働かないということなのです。
その根拠になる考え方は、脳は唯一、ブドウ糖をエネルギー源にするため、朝食を食べないと、ブドウ糖が不足するというものです。
脳の重さは体重の2%ほどですが、脳が必要とするエネルギー量は体重の20%にもなります。
一日に2400キロカロリーが必要だとすると、その20%は480キロカロリーですから、ブドウ糖の量に換算すると120グラムが必要になります。
仮に夕食で60グラムのブドウ糖を摂取するとしたら、朝起きたときには、ブドウ糖は底をついているため、朝食をとって糖質を補給することが必要だというのです。
ちなみに、脳は夜間の就寝中も昼間と同じようにエネルギーを使います。
朝食をとると、炭水化物に含まれる糖質がすみやかにエネルギーに変換され、血糖とし
て血液中に取り込まれて全身へ送られます。脳にもブドウ糖が供給されるので、脳が活発
に活動できるというのです。
では、朝食をとらないと、どうなるのでしょうか。ブドウ糖が血液中に取り込まれないので、肝臓に蓄えられているグリコーゲンをブドウ糖に分解して血液中に送り込むことになります。
グリコーゲンの分解は、副腎皮質という器官から分泌されるアドレナリンの働きによってなされます。
しかし、こうしてつくられたブドウ糖は数時間で使い果たされるので、やがて血液中のブドウ糖(血糖)は少なくなり、血糖値は下がってきて、脳のブドウ糖も不足してきます。
そこで、体はアミノ酸を変換してブドウ糖をつくります。しかし、アミノ酸のストックはあまりないため、さらには体のたんぱく質をアミノ酸に分解し、これをブドウ糖に変換代謝しますが、この代謝(体内処理)にはコルチコイドという物質が必要です。
コルチコイドは副腎皮質から分泌されますが、自律神経(意志とは無関係に血液循環や臓器の働きを支配している神経)のうちの交感神経を緊張させ、血圧を上げます。
このように、朝食を食べないと、体のたんぱく質が消耗し、副腎皮質が負担を強いられるし、交感神経が興奮して血圧が上がったりするので、健康にとってよくないと、現代医学・現代栄養学では考えます。
そして、朝食抜きの生活を習慣にすると、やがて、日常的な健康状態も悪くなるというのです。
朝食を抜くと脳の活動が低下するという理論を裏付けるデータとして、大学生を対象にした、寮生活をして朝食をきちんととる学生と、同じように寮生活をしていても朝食を食べないで授業に出る学生を比較して、朝食をとる習慣がある学生のほうが、とらない習慣の学生よりも学業成績がよいという報告があります。
また、朝食を食べるグループと食べないグループに分け、朝食を食べないグループには前夜に夜食としてバターラーメンを食べてもらい、翌日の午前中に集中力のテストを行った実験があります。
結果は、朝食を食べなかったグループ(ただし夜食にラーメンを食べたグループ)のほうが、朝食を食べたグループ(朝食は食べたが、前夜に夜食は食べなかったグループ)に比べ、間違えた数が圧倒的に多かったと報告されています。
また、子供を対象とした調査で、朝食をとらない子供は、朝食をとる習慣がある子供に比べ、スポーツをする元気な子供が少ないという調査報告もあります。
これらの報告に加え、いつも朝食をとっている人がたまたま朝食を抜いたところ、頭がポーッとしてきたとか、体に力が入らない、おなかがすいて我慢ができないなどという実感的体験が、朝食必要論を補強しているといえるでしょう。
排便を促すため
二つめの理由は、朝食は排便を促すために欠かせないというものです。
朝食を食べると、刺激となって胃・大腸反射が起こり、排便が促されますが、朝食をとらないと、その反射が起こらないので便秘になるというのです。
便秘を予防するためにも、朝食をとる必要があるという理屈です。
主な理由は以上の二つですが、そのほか、朝食抜きの一日二食では1日に摂取する食品の種類が少なくなり、栄養に偏りが生ずるおそれがあるという見解もあります。
食事の回数が少ない分、まとめ食いをする恐れがあるので肥満の原因にもなる、という見方もされています。
また、全般的に食生活が乱れ、遅い夕食や夜食が習慣になっていたり、食事の時間が日によって違ったりする場合、朝食を抜くとさらに栄養やカロリーの問題が大きくなる、という指摘もなされています。
朝食必要論の医学的根拠はざっと以上のようなものです。
ここまでの朝食必要論の理屈を読まれると、なるほど、と思われる方が多いはずです。
ですが、朝食必要論は机上の空論にすぎないのです。
脂肪をエネルギー源として使うので脳のエネルギーは不足しないのです。
まず最初の問題は、現代医学・現代栄養学においては、脳の唯一のエネルギー源はブドウ糖であると決めつけている点にありますます。
朝食を抜くと炭水化物からブドウ糖がつくられないので、体はたんぱく質を分解してまでブドウ糖をつくり出し、そのために大きな負担を強いられるからよくない、と考えるからです。
一日三回以上の回数の食事をとっている場合、脳は食品中の炭水化物から糖質をブドウ糖に変換してこれをエネルギー源として使います。
ですが食事を抜くと、脳は別の物質をエネルギー源として使い始めるのです。
カナダのオーエンス博士は、断食中に脳が何をエネルギー源として使うのか?という点について研究を行いました。
その結果、使用するエネルギーは、ケトン体のβ・ヒドロキシ酪酸が50%で、ブドウ糖が30%、αーアミノ窒素とアセト酪酸がそれぞれ10%ントずつであったと報告しています。
つまりブドウ糖を使うのはわずか30%にすぎず、50%はケトン体のβーヒドロキシ酪酸を使うことです。
ケトン体は脂肪が分解してできる物質です。
つまり、断食をすると、体内の糖分(ブドウ糖)が尽きるので、脳は体内に蓄えた脂肪をエネルギー源として使うのです。
ですから、朝食を抜いても、脳のエネルギーは不足しないのです。
現代医学や現代栄養学の朝食必要論を説いている専門家たちは、オーエンス博士のこの研究報告を知らないのか、あるいは知っていても無視しているのでしょう。
朝食を抜くとかえって頭はさえ、スタミナがつく
ケトン体をエネルギー源とした脳は、脳波の一つであるα波をふやし、脳下垂体からはβーエンドルフィンという物質の量が増すことがわかっています。
α波はリラックスの脳波で、βーエンドルフィンは快感物質といわれます。
ですから、朝食を抜くと、β・エンドルフィンの量が増えるため、さわやかな気分になり、心が平穏になって、とてもリラックスした状態になります。
いつも朝食を食べている人が、たまたま朝食を抜いたりすると、頭がポーッとしたり、体に力が入らなかったりするでしょう。
ですが朝食抜きを一週間も続けると、カラダは慣れてきて、頭はポーッとしなくなり、それどころかスッキリして、体力・スタミナもついてくることを実感するはずです。
これは、朝食抜きを実践している人はみんな、体験していることなのです。
朝食を抜くと胃腸が休められるため、肝臓や腎臓の解毒機能が高まり、疲労感は減少し、スタミナや体力がつくのです。
朝食をとらなくても生水を飲めば排便は促される
二つめの、胃・大腸反射を起こし、排便を促すためには朝食をとることが必要だ、という理論についてですが、なるほど、朝食を食べると便意を催します。
ですが、朝食をとらなくても、生水を飲めば胃・大腸反射は起こるのです。
朝起きてすぐに生水を300から400ミリリットル程度を飲めば、胃・大腸反射が起こり、便意をも、催します。
冷たい生水なら、より効果的です。
腸の働きが低下している人でも、400ミリリットル程度飲めば、たいてい便意を催します。
これは実際に行うとわかることです。
ですから、実際に朝食を抜いてみると、朝食は胃・大腸反射を起こし、排便を促すために欠かせない、必須のものであるという理論は成り立たないことがよくわかるはずです。
空腹時間が長いほど排便が促される
さらに、現代医学や現代栄養学の朝食必要派の専門家たちが理解していない点は、朝食をとるとかえって排便が抑えられるということです。
私たちの体には、胃・大腸反射のほかに、排便を促すもう一つのメカニズムが備わっています。
それが、モチリンという消化管ホルモンの働きです。
このホルモンは、カナダのブラウン博士が1971年に発見しました。
モチリンは、空腹になると腸から分泌されます。
腸の蠕動運動(内容物を肛門のほうへ送る運動)を活発にし、腸管内に残っている内容物を排泄するために分泌されるもので、いわば腸の掃除屋といっていいでしょう。
消化管ホルモンは普通、消化・吸収のために働きますが、このモチリンだけはそれとは別の特別な働きをするのです。
腹が減ったとき、おなかがグーッと鳴ることがありますが、実はこれは排便を知らせるサインで、このときにモチリンの分泌が高まっているのです。
このことを確認したのが、群馬大学の伊藤漸教授です。
モチリンは通常、空腹時間が八時間以上続くと分泌され、しかも何も食べない時間が長いほど活発に分泌されます。
一般に夕食の時間が遅くなる傾向にある現代では、夕食を8時に食べ終わって翌日の朝食が7時なら、夕食から朝食までの間隔は11時間で、計算上はモチリンが活発されることになります。
しかし、前述したように、モチリンは何も食べない時間が長ければ長いほど、活発に分泌されるのです。
そのことは経験的にもわかっているので、完全な排便を促すためには、できれば18時間程度間隔をあけるほうが望ましいのです。
モチリンの分泌があまり高まっていないうちに朝食をとると、モチリンの分泌は抑制され、排便にブレーキをかけることになるので、便は完全には排泄されず、残ることになります。
ですから、排便を完全なものにしたいなら、朝食はとらないほうがいいのです。
毎朝朝食を食べて、その後に排便があるから、便がきちんと出ていると思っている人は多いでしょう。
ですが実は朝食を食べると、便は完全には排泄されないのです。
伊藤先生の研究によると、食事の量が多いと、モチリンが出るまでの時間が長くなります。
夜食を食べると翌朝排便をもよおさないのは、モチリンがまだじゅうぶんに分泌されないためなのです。
このことからも、夕食の時間が遅い人や夜食の習慣がある人、夕食をたくさん食べる人は、なおさら、朝食を抜くほうがいいのです。
十二指腸潰瘍などで胃酸が過剰に分泌している人では、モチリンが分泌されても空腹時の蠕動運動が起こらないことがあります。
若い世代ではモチリンは活発に分泌されますが、中高年になると分泌は低下してきます。
胃腸の働きが弱い人も同様です。
調査の落とし穴
朝食を食べる習慣がある人と朝食を食べない人を比較し、成績や集中力、元気さを比較
する調査では、実は落とし穴があるのです。
たとえば、現代の一般的な生活状況では、朝食をとる学生のほうが、とらない学生よりも規則正しい生活を送り、真面目に勉強していると考えられます。
子供の場合も一般に、朝食をとる子供のほうが、とらない子供よりも、家庭がきちんとしているとみられています。
朝食をとる、とらないが学力に反映するかどうかは、生活全般にわたって同じ条件の下で比較をしない限り、正確な結論を出すことはできないはずです。
そもそも朝食を食べる習慣の人と、食べない習慣の人を長期間追跡し、健康状態を比較した研究は現代医学では行われていないのです。
それなのに、朝食を抜くことを健康にとって有害と決めつけるのは、いかがなものでしょうか。
夜食を問題にせず、朝食の必要性だけを説くのはおかしい
現代医学は、「朝食を抜くと、食生活がなお乱れる」から、その面からも朝食を抜くことは健康にとってよくないと主張しています。
食生活が乱れている人に対して、朝食は有害という説を説くと、なお食生活は乱れ、栄養の問題はもっと大きくなる、と指摘されるのです。
それなら、朝食抜きだけを問題にするのではなく、食生活全般に立って、その乱れを指摘
すべきでしょう。
最近は朝食を抜く人がふえています。その割合が最も高い20代の男性では三人に一人が、20代の女性も五人に一人が朝食抜きという調査結果まであります。
ほかの調査では、20代の独身女性の11.4%が一週間毎日朝食抜きで、一週聞に4-5日程度食べる人の割合が18.3%、一週間に6-7日食べる人の割合が51%という結果が出ています。
朝食を食べない大学生が多いため、なんとか朝食を食べさせようと、大学や生協では知
恵を絞り、無料朝食会を開いたり、寮生に年間の朝食代を前払いさせたりしているのが現状です。
朝食を食べない理由の一つは、夕食の時間が夜遅かったり、夜食をしたりするため、朝
起きた際におなかがすいていないからです。
また、起床して出かけるまでの時間に余裕がないことも理由のようです。
朝食抜きはほんとうに悪いか?
夜遅い時間に夕食をとったり、夜食をしたりすると、朝起きたときに食欲がないのは体の代謝から考えて当然のことです。
夕食や夜食に食べたものがまだ完全には分解.吸収されていないからです。
ですから、朝食を食べないほうが体の自然の理にかなっています。
ちなみに、甲田先生は朝食を抜きさえすれば、それ以外の食生活は適当でいいとは一言も書かれていません。
先生が指導され、勧められている朝食抜きの一日二食は、健康法・養生法であり、病気治療法なのです。
甲田先生は長年、西式健康法を基盤として、断食や玄米生菜食などの少食療法を指導されてきました。
西式健康法は、希代の天才といわれた西勝造先生が世界中の文献7万3000冊を読破、362の各種健康法を実践して編み出し、体系化した総合医学を、1927年に発表されました。
食養生法や六大法則といわれる運動療法などから成り立っています。
他の食養生法と比べて、朝食を抜く一日二食にすることや、玄米菜食でも生のものを重視することに特徴があります。
甲田先生は西式健康法を基盤にして、断食や、野菜をすりつぶして食べる療法などを指導されてきました。
そして、経験を重ねられてゆくなかで、食べ過ぎこそ、私たちの健康を害する最大の原因になっているという結論に至ったというのです。
健康食といわれる玄米菜食でも、食べ過ぎると害になるのです。
ちなみに、「食が細い」という意味での「小食」という言葉が昔からありますが、甲田先生は「腹八分、あるいは腹七分の食事」という意味で「少食」という言葉をつくり、使用されています。
西式健康法における朝食抜きの一日二食主義は、夕食から翌日の昼食まで18時間以上
の間隔をあけるのが決まりです。
ですから、夜食をとる習慣があるなら、朝食をとらないでいても、それは一日二食とはいえません。
夕食の時間が遅い場合、たとえば夜9時に終わると、翌日の昼食を12時とすると、間隔が15時間しかありません。
厳密にいえば、それでは間隔が短すぎるのですが、16時間までは許容範囲とみなしています。
また、原則として、夕食後の間食も禁じています。
夜遅い時間の飲食は、健康を害するもとになります。
いくら朝食を抜いても、夜食や間食をしては健康な体は得られません。
なぜ、朝食をとると健康に悪く、朝食を抜くと健康によいのかという理由をまとめて説明すると次のようになります。
胃腸を休める時間がなく、酷使してしまう
第一に、一日三食の食生活では、胃腸を休める暇がなく、絶えず働かせ酷使します。
食べたものが胃腸で消化吸収・利用されるには14時間から18時間程度かかります。
ということは、一日三食食べる人では、胃腸は休む間がありません。
胃腸が消化をしている間に、次の食事をしているわけで、起きている時間はもちろん、寝ているときも働きづめになるのです。
これでは胃腸は休む間がないため、胃腸は疲弊し、働きは低下してゆきます。
一日3食だと排便が完全になされず、宿便がたまる原因になる
前述したように、朝食をとると排便が完全になされないため、宿便がたまる原因になります。
では、宿便とはいったいなんでしょうか。
宿便は、胃腸の処理能力を超えて食べ続けた結果、停滞した腸管内容物です。
現代医学は、宿便の存在を否定しており、そのことが盲点になっています。
大腸ファイバースコープ(大腸の中を直接見る医療器械)で大腸を観察しても、それらしきものが認められることはめずらしく、宿便といわれるものは存在しない、という腸の専門家もいるほどです。
それは無理もないことです。
なぜなら、便は腸の壁に一年も二年もこびりついていることはできないからです。
腸には約100種類もの細菌が100兆個も棲んでいて、常に酵素(代謝を促す物質)を出して便を分解するからです。
また、腸の粘膜は三日に一度くらいの割合で脱落し、入れ替わるので、腸の壁に便がいつまでもこびりついていることはありません。
しかし、断食を行うと、ふだんとは異なる状態や特異な悪臭の便が大量に排泄されます。
これは実際に見られる現象で、断食を経験した人の多くが体験をしています。
高速道路と車の関係にたとえると、1分間に車が150台通れる高速道路では、70台ならスムーズに流れますが、150台以上が入ると渋滞を引き起こします。
そこへ無理に入ろうとすると前の車に衝突することになり、後続の車は次々と衝突するという、いわゆる玉突き事故で、車はジクザグに数珠つなぎとなります。
これと同じことが腸で起こるのです。
処理能力を超えて食べ続けていると、それを収納する胃腸は、伸びて垂れ下がり、横に広がったりします。
そうなると安定が悪いので、腸はあちこちにへばりつき、へばりついたところへ癒着が起こります。
癒着とは、もともとは分かれている組織がくっつき、つながることであり、癒着したところは変形して細くなったり、ねじれたりします。
腸がねじれると、そのくぼみに食べ物のカスが引っかかって、滞留します。
宿便は、このようなくぼみに滞留した腸管内容物(食べ物のカスや便、腸内細菌のカスなど)なのです。
このように変形した腸は、排泄力が低下して便秘になりやすく、また下痢もしやすいので、さらに宿便をため込むことになるという悪循環に陥ってしまいます。
腸の癒着が進むと、その部分は横にふくれて風船玉のようになり、腸は動かなくなります。
この状態を、甲田先生は「腸マヒ」と名付けています。
これによっても腸は蠕動運動ができなくなり、宿便がさらに滞留する悪循環に陥ります。
しかし、前述したように、便はいつまでも腸管の壁にこびりついていることはできません。
腸内細菌が出す酵素によって、分解・吸収されるからです。
そうであるならば、宿便がたまらないように思うかもしれませんが、次々に宿便がつくられるので、いつもたまっているわけです。
胃腸や胆嚢、子宮などの手術をすると、術後に癒着が起こり、それによってさまざまな症状に悩まされることがあります。
ところが最近では、過去に手術をしたわけでもないのに、腸に癒着がある人もめずらしくありません。
原因は胃腸の処理能力を超えて食べ続けたことにありますが、現代医学はそのことに気づかず、そこが盲点となっているのです。
腸の壁についた便は、腸内細菌が出す酵素によって分解・吸収されますが、宿便がたまっている腸は腸内細菌叢のバランスが崩れているため、異常発酵、つまり腐敗し、それが腸管の壁の血管から体内へ吸収され、全身を回ります。
当然ですが、発酵・腐敗する過程でつくられた毒素も吸収され、そのため、頭痛やめまい、肩こり、倦怠感などの不定愁訴を引き起こします。
さらには、宿便は、脳梗塞(脳の血管が詰まって起こる脳卒中)や脳出血、心筋梗塞(心臓の血管が詰まって起こる病気)などの循環器系の重大な病気、さらにはガン、アトピー性皮膚炎、気管支ぜんそくなどのアレルギー疾患、膠原病など、実にさまざまな病気を発生させるもとになります。
つまり、ありとあらゆる病気に関係しているといっても、過言ではありません。
一日3食は肥満の原因になる
第3に、一日3食の食生活では、どうしても食べ過ぎになり、肥満を引き起こします。
食べ過ぎを防ぐためにも、一日二食が適切で、それには朝食を抜くのが、現代の生活ス
タイルに照らしても、理にかなっています。
現代医学でも、肥満は健康を損ない、生活習慣病をはじめとするさまざまな病気を発症する原因となる、という見方をしています。
厚生労働省の国民栄養調査によると、男性の三人に一人が肥満です。
肥満と、肥満が影響して発症する糖尿病は、増加傾向にあります。
肥満は糖尿病や高血圧を引き起こす原因になることが問題ですが、食べ過ぎは宿便をため込む原因になることからも、非常に問題となるわけです。
宿便がたまっている腸では、腸内細菌叢のバランスは崩れ、悪玉菌が優勢になっています。
腸内細菌の状態が悪いと、肝臓に負担がかかり、肝機能が低下し、腎機能も低下をし、ひいては全身の健康状態が悪化してゆくことになります。
いかがでしょう。
それでもあなたは、一日3回の食習慣を続けたいと思いますか?
0927 Thurs.
秋の気配
天高く馬肥ゆる秋、ワインがおいしい季節になってきたためだろうか、カミサンがデカンタを買ってきた。デキャンタとも呼ぶ。
本体が6,000円。そして口にセットしてあるガラスのアタッチメントが6,000円だったという。
ボトルからワインを注ぐと、(これをデキャンタージュという)ボトルの曲線に沿って流れ、ボトルの下へ溜まるという仕掛け。
この形は空気に触れる面積を最大化しようという目論見で作られたもので、古いワインはオリを取り除くため、そして若いワインが閉じている場合、空気に接触させて開かせるために、こういう面倒なことをやるわけです。^^
ワインは空気に触れると、香りが蘇り、成分として含まれるタンニンも空気に触れさせることで、丸みが出てくるというわけですが、ブルゴーニュワインはデキャンタージュで果実味がとんでしまうことがあるうえ、ブルゴーニュのオリは微細で飲んでも大したことないため、デキャンタージュしないことが多いそうです。
ただ、若いボルドーのタイプはデキャンタージュすると味がまろやかになるようです。
n
この口にある四角い穴から、ボトルのヘリを伝ってワインは下へ流れるわけです。
フランスのデキャンタ専門メーカ「エスプリエルヴァン」から発表されている「グランドアロマ」がこの形なので、通称「グランドアロマ」型と呼んでいるようです。
で、カミサンが抜いて差し込んだときに、ヘリへ軽くぶつけたらしく、注ぎ口へ差し込む方にヒビが入って一巻の終わり。
一回使っただけなので、えらい悔しがっていましたが、俺でなくてよかった・・(笑)
リビングルームから見える空や雲も秋の気配。
かなり涼しくなってきたので、最近はまた家の近所を探索。
ここはウチから至近距離にある和菓子屋。
偶然見つけた小さなお店ですが、味はなかなかのもの。
ダメもとで一度買ってみようということで、味見をしてみたら、これがおいしいんですね。
ここの「どら焼き」は皮がしっかりと焼いてあって、側のスポンジがフワフワしているうえ、ここは中の「あんこ」が全般的にオイシイのですよ。
「おはぎ」がおいしい和菓子屋って、大体ハズレないと相場は決まっていますからね。
ググってみると「手土産ナビ」に掲載されていました。
さすがネットですな。(笑)
そばのマンションのガレージに、ボロボロの朽ち果てた赤いアルファが見えるのでそれが目印。(笑)
店名 しげ田
住所 東京都中央区湊1丁目10-8
電話 03-3553-4458
0926 Wed.
値幅を知ることができるレンジアベレージ
CQGというチャートソフトの場合は、セミナー参加者の方に配布しているCDを組み込むと、マクロプログラムで一日に動く平均的な値幅「レンジ
アベレージ」を表示させることができます。
これはCQGでの表示
これはリバーサルでボトムを打った後の反転を捉えるにはとても便利な機能なのですが、
Real Tick でこれを表示させる方法をこちらに掲載しています。
T氏をそそのかして(笑)作ってもらったのですが、なかなか便利です。^^
これがリアルティックでの表示。
またリアルティックのマーケットマインダーで日足や週足のハイローバンドの並びのよい銘柄を知るための方法をこちらに掲載しています。
マーケットマインダーという銘柄の入れ物に週足と日足の判定値を表示させることができます。
Symbol
の黄色い銘柄は、ハイローバンド移動平均線が日足と週足ともに強いアップトレンドのものだということがわかります。
しかし昨夜の米国マーケットは、どの銘柄もよく下げましたね。
陽線がかなり続いていましたから、これくらいの下げで一旦売りが入って、売り圧力が解消されないと、これから先安心してロングサイドへ入ることができませんから、なかなかよい動きだったと思います。
さて今夜はどういう展開になるでしょうか?
0926 Wed.
きっかけ・その6
きっかけ・その5を先に読んでからご覧ください。
流れがよく分かります。
仕事を失い、自分は今後これで生計を立ててゆかなければならない、という精神状態に追い込まれたとき、心の平静を保つことなど、とてもできませんでした。
ですがロスを出した体験と、ある感覚が共通していることには、うすうす気がついていました。
頭の中では「本来こうするべきだ」ということが分かっているにもかかわらず、焦りやもっと大きく儲けたいという、途中で湧き起こる不純な考えに傾いたとき、それはロスに繋がるのです。
コンスタントに利益を出すことはできなくても、勝ったり負けたりを繰り返しているうちに、このことだけは、トレードを続けてゆくうちに、だんだんと確信を持てるようになってきました。
事前に決めたことを、守れない。
自分はそういう人間ではないと、何となく思っていたことが、トレードをすることで実はそうではないということがいやでも、認めざるをえなくなったのです。
これはとてもショックでした。
ですがそれとは引き替えに少し糸口が見えるような気がしたのです。
つまり「ここ」を何とかすれば、トレードにも影響を及ぼすのではないだろうかということを、何となく感じるようになっていたのです。
ですが具体的に何をどこから、始めればいいのかは分かりませんでした。
チャートを分析するためにはRSI、CCI、ADXなどの様々なツールがあります。
わかりやすくいえば買われ過ぎや、売られ過ぎを示すインジケータなどのことなのですが、誰もがこうした道具を組み合わせれば、勝てる方法が分かるだろうと考えます。
ですがこうしたそれぞれの要素には様々な読み方があり、深読みをすればするほど、分からなくなるという、落とし穴も開いているのです。
後にあるトレードの教育メソッドを元にして教えるという経験をするのですが、そのとき漠然と「これではなかなか勝てないな」と感じたことがあります。
トレードでは売買の手法が多過ぎても、また複雑過ぎても、うまくゆかないのです。
このことは、アメリカで開催されていたトレーディングエキスポという、トレード業界が開催するイベントへ参加し、いろいろな教育システムを見れば見るほど、そうした思いを強く抱くようになりました。
つまり「本来こうするべきだ」ということがシンプルでわかりやすくないと、複雑であればあるほど途中でいろいろな考えが湧き起こってくるものなのです。
シンプルに考えることがよいことは分かっていても、実際の物事でそれを応用して、結果に結びつけるいうのは、そう簡単なことではありません。
ですが、それができているかどうかの判定は簡単でした。
まず目に見えて経済的自給力が身についてきます。
そしてそれは人に対する忍耐力と、寛容さと真の慈悲深さをも育むのです。
しかしそうした能力が備わっていなければ、環境や生活をよくしようと努力をしても、それを妨害する方向へしか働かないのです。
多くの人は努力で環境や生活をよくしようという考えにはとても積極的なのですが、自分自身の考えを変えようとすることには消極的なため、変える必要がないと考えがちです。
実はそれこそが、環境や生活を改善できない大きな理由だったのです。
自分が望んでいることが結果を引き寄せるのではなく、自分が考え、決断したことが結果を引き寄せるため、考え方やルールが複雑だと迷いが生じ、それが結果に反映されてしまいます。
私が選んだ仕事は、考えと、決断した行動が調和したときには、利益という結果が待つという、とてもわかりやすい世界です。
ですが、私が体験してきた世界では類を見ないものだったため、そのことがなかなか感覚として掴めなかったのです。
こうした能力を身につける上で障害となっているのは多くの場合、手放さなくてはならないものが分からないことにあります。
社会人となり、それなりにではあっても、毎日の生活がすでにできている場合、自分の考えを変えるには、何らかの自己犠牲を払わなければなりません。
たとえば、健康に関しての慢性的な問題を抱えている大多数の人は、健康のためには様々な種類のコストを払うことはしても、自分が食べるものに関しての「欲望」を犠牲にしようとはしないのです。
もし手放さなくてはならないものが分かっている場合、それは行動力のなさが問題の原因となっているのです。
犠牲を払い失うことを受け入れる勇気がなければ、行動へ結びつけることはできません。
せっかくよい結果に目標を定めているにもかかわらず、行動とそぐわない考えによって、自らを妨害していることに、気がつかないのです。
心の総合的な状態は、外面からは、なかなかわからないものです。
幸せの条件はさまざまですが、正直そうに見えるのに、貧しさに苦しむ人がいます。
ですが「正直すぎるからお金が貯まらない」という見方は表面的なものです。
不正直そうだが裕福な人であっても、正直そうに見える人にはない美徳を、数多く備えているかも知れないのです。
「よい考え方ばかりをしているから悩みや苦労が多い」というのは、自分を変えることを放棄した人には、とても都合のよい考え方です。
感情的なバランスを取るため、人はあらゆる考え方を動員し、自分がラクになる考えを信じ込みたくなります。
同じ境遇の人が多ければ、このような都合のよい考えは信仰のように崇められ、それはあたかも伝染病のように瞬く間に広がり、深く拡散してゆくのです。
苦悩は自らの何らかの誤った考えや行動から生まれるもので、他人から影響を受けてもたらされる結果ではないことを忘れてはなりません。
苦労や悩みは自分の考え方のルールと行動がうまく調和していない、というサインなのです。
それまでのトレード以外の体験から、うまく事が運ばないのは、自分が要因ではなく、他に原因があるのだと考えていたのです。
特に人間という相手がいる場合「その相手に原因があろうと、相手と関わることを自分が選択した以上その原因は自分にある」とは考えたくないものです。
ですがトレードの世界では、その考え方は通用しないことがわかってきたのです。
この部分の考え方を変えるには、少なからぬ授業料が必要でした。
授業料を抑えるためには、考え方を改めるのが、最も効果的な方法だったのです。
このことに、何故早く気がつかなかったのか?
とにかく、それに気づいたこと自体、目から鱗でした。
一度この考え方を受け入れてみると、その効果はトレードの世界だけで通用するだけなく、それ以外の物事にも実はとても「良く効くもの」なのだということを、身をもって知ることになりました。
人間関係においても然りです。
いっとき「距離」を詰めることだけを考えた、いわば車間距離の少ない行動は、ギクシャクしがちです。
余り近づくよりも、ある程度距離を置いた行動の方が、追い越すときにも、事故を避けるときにもはるかにうまくゆきます。
こうした見方をすることで、それまでとは同じものを見ても、見えるものが違ってきたのです。
ですがその効果は即効というわけではありませんでした。
それはジワジワとまさにボディーブローのように、効いてくる種類のものだったのです。
0924 Mon.
ネバーエンディング・ストーリー
といっても例の映画ではない。タイトルは同じだけどね。(笑)
福田内閣が誕生したことでもあり、今日は私にしてはちょっと珍しい政治ネタの、ネバーエンディングストーリーを一席。
話は第二次大戦中から始まる。
日本は戦争のための費用をどのようにして賄ったのだろう。
戦争のための費用は、最も集めやすい国民年金という名目で集められたが、敗戦によって残った膨大な負債は、戦後社会保険庁に受け継がれることになる。
役所の無責任さに起因する運用の失敗やずさん管理で、年金行政はさらに破綻状態に追いやられることになったが。
ここで大蔵省つまり今の財務省は、5000万件の記録紛失情報をリーク。
100兆円を超えると考えられる国家の債務と、5000万件の記録紛失という数字が妙にマッチしているのは偶然だろうか。
そこで安倍総理は5000万件の失われた年金受給者に「最後の一人まで責任を持って返す」という総理の言質でもって、累積債務を帳消しに・・
アメリカが日米投資イニシアティブ2003で日本に要求したのは「郵政民営化」と「年金資金の自由化」の二点。
日本の政府は小泉政権で郵政民営化を、そして安倍政権で年金資金民営化前にこうした負債を除去。そして財務省が支持する福田時代の到来。
劇的でタイムリーな辞任で自民党は挙党一致で、年金民営化を求めるアメリカが満足する政権への道筋もしっかりと固め、まさに準備万端。
麻生は安倍が参院選大敗直後の辞任にストップをかけ、その後の内閣改造で人事を仕切ったため、その報復として阿部は麻生の麻生首相誕生というシナリオを潰すタイミングで辞任。
麻生の野心にストップをかけ、無責任と嘲笑を買われる代償として福田と自民党に貸しを作り、将来の政治生命を繋げるための保険をかけたというわけだ。
こうした終わりのない壮大なネバーエンディングストーリーを見ると、マスコミの些細な動きに振り回されるのは時間の無駄というもの。
自分に関わる壮大で夢のあるネバーエンディングストーリーを立案し、その実現を目指した方がはるかに楽しいはず。
さてあなたは、どんなネバーエンディングストーリーをお持ちだろうか?
0923 Sun.
使用開始後1年4ヶ月後レポート
こちらでご紹介したパルス磁気治療器ですが、とにかく痛みにはとても良く効きます。
私の友人が、方から下げてモーターで動く草刈り機を使って何日も作業をしたら、支えていた右手の指の関節の痛みが酷く、手を握ったりすることができなくなったことがあります。
彼は磁気シャワーを使っていたので、集中してシャワーを浴び続けていたらしいのですが、それでも痛みが続き、手を握ることができないので、パルス磁気治療器をしばらく貸して貰えないかというのです。
その効果は抜群でした。
数日間の集中使用で、何と痛みはなくなり、手を握れるようになったのです。
なんだか、ウソのようですが、これは紛れもない実話です。
とにかく関節の痛みなどは、病院で処方してくれる痛み止めなどでは根本的な解決にはならないので、こうした症状の方は、試してみる価値はあると思います。
しばらく、レポートは途絶えましたが、今でも我が家ではこの磁気シャワー装置は継続して黙々と動き続けています。
こちらで書いたように、ベッドと仕事用の椅子に仕込んであるので、これを書いている今も磁気シャワーを腰と背中に浴びながら作業をしていますが、継続使用することで、とにかく腰痛は見事になくなります。
いまや家族の健康管理には、欠かせないものとなっていますが、普段から血行がよい状態を継続させているため、風邪は全く引きません。
ですが、そこまでやっていても、たまに疲れが溜まったりしているときに冷房が効きすぎている部屋でマッサージなどをしたあとで、風邪を引きかけたかな?などというときがあります。
そういうときは、大正製薬の風邪薬「パブロンエース」を3錠飲んで、「エーベル」というサイコ、カンゾウ、ニンジンなど8種の生薬エキス、塩化カルニチン、タウリン、ビタミン類を配合したミニドリンク剤を飲みます。
同じ大正製薬の製品で同じ成分だと言われているゼナなどもありますが、でもエーベルの方がウチの家族には、なぜかとても良く効くのですね。
これは風邪薬でもそうなのですが、自分に合うモノが必ずあるはずですから、ベストなものを見つけておくと、いざというときにとても助かります。
ただメーカーの希望小売価格が1,260円
と高いのですがですが、ウチでは、5本で1300円というのをネットで見つけいざというときのために、常備薬として使っています。
そして磁気シャワー装置を仕込んだベッドで3時間ほど寝れば、十中八九撃退することができます。
なんといっても、こちらにあるようなネットエイドを毎日継続できるのは、この磁気シャワーを一年以上浴び続けたおかげだと断言してもいいでしょう。
もちろん一日二食といった食事も相乗効果として働いているはずです。
というわけで、特別に変わったことはありませんが、とにかく家族全員が毎日よい体調で生活できるというのは、幸せの基本となるわけですからね。
0921 Fri.
原因と結果を繋ぐための方法
私の仕事を通した実例としてご紹介。
これは他の仕事にも応用できるはず?!
さて、アメリカマーケット。トレード環境がとにかく快適!
それと、バイイングパワーがすぐ戻るのは、ものすごくありがたい。
失敗しても、もう一度入り直してなんとか取り返す、ということができるので。
でも、調子に乗って出入りを何度もしていたら手数料倒れになりました...笑。
まだ取引株数小さいので。
はっち3号の記録を見てもわかるように、ここのところのマーケットは難しいと思います。
6月、7月頃のはっち3号の成果に憧れてアメリカまでやってきたのに...笑。
でも、ここでしっかり練習しておけば、トレンドがしっかりしてきた時に成果が出てくると信じています。
夜10時から、というのも意外と自分に合っているようで、2歳の息子が騒いでいても、全然気にならず集中できます。
逆にリラックスできるのかも。
まだまだネットエイドなしでは絶対に無理な仮免状態ですが、がんばります。
変な言い方ですが、とりあえず、毎晩楽しいです(笑)
この方は札幌にお住まいで、プロトレーダーになるためという目標をしっかりとお持ちの方でした。
最初は日本株のネットエイドに参加され、セミナーにも参加しながら、CQGなどのプロ用ソフトなどの環境も整え、ついに米国株に資金をシフトされ、先日は一銘柄で600ドル近くを実トレードで稼ぐという、体験をされたばかり。
>とりあえず、毎晩楽しいです。
というのは勝つ体験と、こうすれば勝てるのだという、展望が見えてきたからでしょう。
昨日書いたように、これから年末のクリスマスにかけては、米国マーケットはアップトレンドで上昇が非常に期待できるわけです。
つまり、とてもよい時期に日本株から米国株へシフトされたのです。
こうした判断をきちんとしたうえで、それを実際に行動として、資金を移動するなどという「アクション」を実行できる人というのは意外と少ないのです。
頭では分かっていても、やらない。
「本当はそうしたいのだけれど、今はとりあえず今まで通りのスタイルを変えることはしないでおこう。」
そして明日がやってきて、また同じ事を繰り返してゆくうちに、時間はどんどんと経過してゆくのです。
これが、ほとんどの人が取る典型的な行動パターンです。
扉を叩き、押し開いた人だけが、その扉の内側へ入ることができるのです。
実行能力というのは、そのこと自体が一つの才能だということを、多くの人が過小評価しているため、成功のための意外な盲点となっているのです。
マーケットを毎日見ていると、その銘柄のクセはだんだんと分かってきます。
今週などは3000銘柄以上からプログラムで絞り込んだ31銘柄を徹底的に監視しながら、その日の始まる前の挙動で、大体狙いを決めるわけですが、これはまずほとんどハズれる事はありません。
ネットエイドの記録を見れば分かると思いますが、実際に利益が出せた銘柄というのは、事前チェックで上げておいた銘柄の中から必ずといっていいほど表れています。
31銘柄を毎日1時間以上見続けているのですから、これはある程度時間をかければ誰でもができるようになるのです。
些細な点も含め忍耐強く自分の目で分析し、原因と結果を一致させるための努力を毎日続けることで、頭の中にそうした道が刻み込まれ、それはやがてしっかりとした道筋としてハッキリ認識できるようになります。
「できると信じ」忍耐強く継続することさえできれば、誰でもができることなのです。
私でさえできるようになったのですからね。
>トレード環境がとにかく快適!
と書かれているのは、パソコンや、トレード用のソフトなどの環境に、必要なコストをかけられているからです。
つまりトレードという事業ではこうした設備投資というのは、利益を出すための必要条件なのですから、これが不十分だと、一瞬のチャンスを取り逃がす確率が高くなってしまうわけです。
このレベルの設備を揃えたからといって、勝てる保証はありませんが、でも揃えていないと、勝てるチャンスは大きく下がってしまうのです。
そうしてマーケットの動きが正確に正しく見える状態で、期限を決めて具体的な利益目標を設定し、そこに向かって利益を上げることができるかどうかを、実際のマーケットで検証をするわけです。
ネットエイドというガイドでは、自分の目線と、私が解説するプロの目線との違いを、きちんと認識できるかどうかが、大事なポイントになります。
ですから、私が使っている環境や設備に近いほど、同じように見える確率は高くなるのです。
こうした環境とそれを使って生み出される状況のすべては、その時点以後の進歩にとって、決定的に重要なものになるはずです。
次のステップとして大事な点は実際のマーケットでのこうした試みという経験を経た後で、それをきちんと分析することです。
何故ならそのトレードがうまく利益を出す結果として機能したかどうかは、分析することによって、始めて、第三者の目として認識することができるからです。
ネットエイドを毎日2回継続することは、ガイドする側にとっては、実はとてもたいへんなことなのですが、何故それを続けているのか?
その理由は「ほとぼりが冷めてから」その日のガイドがどうだったのかを見直すことで、ガイドの精度をさらに上げことができることを知っているからなのです。
自分以外の利益のための行動というのは、それが純粋であればあるほど見返りのレバレッジは高くなります。
期待していない見返りの味を知ることが、自分のその後のアクションにどういう変化を与えるのか?
最近のものを含め、こちらにある今日のネットエイドの検証が、何かを物語ってくれるはずです。
0920 Thurs.
これから株はどうなるでしょうか?
というとてもシンプルなだけに、難しいご質問をいただいたのですが、今日はこの難問について「ああでもない、こうでもない」と、難しい言葉で言えば、分析をやってみましょう。
私は超能力者でも、霊能者でもないので予言や念力で占うことはできないので、以後はチャートと呼ぶグラフを使います。
まず米国株と日本株を同じように一ヶ月単位で、できるだけ長い期間を表示したチャートで比べててみましょう。
黄色いマークは現在の値段です。
上はダウ平均指数。1970頃から現在までの大きな流れを見ることができます。
わかりやすくいえばアメリカの株式市場はアップトレンド。
2000年にドットコムバブルがはじけて、一度は下がりましたが、その後盛り返して現在は高値を追っているところ。
つまり右上がりで、これは金融関係当局の利下げを含めた金融政策がとてもうまく働いているということが言えると思います。
つぎは東京マーケットですが、上のチャートからは日経平均は1990年頃にバブルがはじけて以来ダウントレンドが続いていることがわかります。
これは日本の金融関係当局の金融政策がかなり的外れな事をやっているということが、チャートからは一目瞭然で分かると思います。
さてたぶん多くの方が気にしている東京マーケットがどうなるかですが、上の1ヶ月単位のチャートで見ると、なだらかな200MAというトレンドを見る赤い色の移動平均線の真上に位置していることがわかります。
ここを抜けて上へ行くことができれば、上昇してゆく可能性が高くなります。
右下がりの直線はトレンドドライン。
上下のトレンドラインに挟まれたトレンドチャンネルの中へ戻ってしまうと、下のトレンドラインあたりまで下がる可能性が高くなります。
上はハイテク銘柄の多いナスダックマーケットの一週間単位のチャートですが、昨日の日記「利下げ残業」で書いたアメリカの利下げの効果がかなり有効だったということが分かると思
います。
メディアは日本は総裁が誰になるかとかばかり騒いでいますが、日本のこれからの景気を左右することになる、金融当局のスタッフを何とかすることの方が遙かに重要だと思うのですが、まあこんなことをいうのは、ごく少数派なんでしょうね。
上のチャートのように底を打って上がってはきたものの、緑の移動平均線を越えないと、上昇局面とは言えない前途多難な東京マーケットに比べるとアメリカマーケットは、これからクリスマスを前に高値更新を目ざしているかのような展開となっています。
さてどうなるか?
こればかりは私にもわかりません。
誰か教えてください。(笑)
0919 Wed.
利下げ残業
昨夜は久しぶりの残業。どれくらい久しぶりかというと、4年3ヶ月ぶり!NIKKEI NET では、今日の朝こういう記事が掲載されました。
(9/18)米FRB、政策金利を0.5%引き下げ・4年3カ月ぶり
米連邦準備理事会(FRB)は18日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、短期金利の指標であるフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を0.5%引き下げ、年4.75%とすることを全会一致で決め、即日実施した。信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題を発端とする金融不安が収まらず、米経済全体が悪化するリスクが高まったと判断した。
最も重要な政策金利であるFF金利の誘導目標を引き下げるのは2003年6月以来、4年3カ月ぶり。金融機関向けの貸出金利である公定歩合も0.5%引き下げ、年5.25%とした。
FOMC終了後に発表した声明は今回の利下げについて「金融市場の動揺が米経済全体に与える打撃を抑えるための措置だ」と指摘。「物価の安定と持続的な経済成長を維持するために必要に応じて行動する」とも述べた。
ということで昨夜の米国株マーケットは、日本時間の夜中の3時15分にFOMCの利下げ発表があるため、それまで待機。(笑)
といってもトレードをしながらですが。
こうした利下げが行われると、お金を預けても利息が増えなくなるため、お金は株式市場に流れ込むことになり株価が上がることが多いのです。
意外と単純な仕組みです。
それに住宅ローンでお金を借りている人は、金利が安くなるため負担が少なくなります。
こちらにあるように、この日のネットエイドでのガイドで、スキャンシステムは
BIDU という銘柄をピックアップしていたため、当然目標はこの銘柄。
ネットエイドでのガイドは10時から11時半までなので、そこから3時間45分後に利下げ発表が行われるわけです。
もちろん、昼寝で睡眠を十分にとって万全の態勢。(笑)
ということなのですが、こういう時のトレード方法を詳細に公開している例はないはず。
というわけで今日は特別に、どうやってこういうときにトレードするのか、を昨夜の例で解説してみましょう。
ロスのトレーダーK氏に金利が決まったらチャットで教えてくれと頼み、その時を待ちました。
今回の下げ幅予想は、0.25%から0.5%の間。
0.25%だと予想よりも引き下げ幅が少ないということになり、失望の売りが入って、上がらないというシナリオが考えられます。
一方で
0.5%だと、最大の利下げ幅ですから、急騰が予想されるということになります。
どちらへ転ぶかで、まさに「天国と地獄」ほどの違いが生まれるわけです。
ざっとこういう作戦なのですが、大事なのは、それまでのこの銘柄の動きです。
狙っていたBIDUという中国のポータルサイト銘柄は、下のチャートを見ると、20日間の平均で一日に大体8.68ポイントの値幅で動く銘柄だということがわかります。
下は3時10分時点ですから、利下げ発表5分前のチャートです。
この日はすでに 9.02
ポイント動いているわけで、この幅以上は上下には動かない可能性が高いということになります。
3時10分の時点での株価は、黄色いゾーンのちょうど中間の位置にありました。
つまり、上がり始めたら、黄色い四角のゾーンの上端あたりまでは、上がる可能性があるだろうと、予測したわけです。
下がり始めても、最大で黄色い四角のゾーンの下端までだろう、ということがわかります。
基本的に上がり始めたら買うわけですが、もし下がり始めてもショートという空売りはしてはいけない銘柄です。
その理由は下の週足チャートです。
強い上昇トレンドの銘柄ですから、必ず買う方向へしかポジションを取ってはいけません。
下がったら、黄色い四角のゾーンの下の位置あたりまで下げてから反転して上昇するはずですから、そこで買うわけです。
さて運命の3時15分!
チャットのウィンドウへはロスのトレーダーK氏からの「ゴールドマンサックスの予想通り、0.5%の利下げ」という文字が躍っていました。
下は3時15分あたりのナスダック100先物の動きです。
下はBIDUの一分足チャート。
すべての銘柄が、堰を切ったように、一斉に猛烈なスピードで上がり始めました。
執行ソフトで表示していたこの銘柄のチャートは、あまりの速い動きのため、チャートの表示がおかしくなってしまったのですが、バックアップのためのCQGという専用のチャートシステムはこういうときでも、全く問題なく表示してくれました。
さすが使用料金が高いだけのことはあります。
261ドルあたりで買いのボタンを押したら、あとは出る場所を決めるだけ。
264ドル少しが目標値でしたが、そのあたりで少し揉み合ったものの、再び素晴らしい勢いで駆け上がってゆき、265ドルを突破したので脱出目標を266ドルへ変更。
鳥肌が立つほどのゾクゾクする、こういう強烈な興奮は、久しぶりでした。
結果は何と5ポイントのゲイン!
6万5千ドルつまり740万円(1$=114円換算)の資金だと、1000株トレードできるのですが、その場合の利益は +5000ドル(57万円)。
2万5千ドル(350万円)の最低資金だと、200株なので+1000ドル(14万円)。
正味3分間でしたが、それまでの4時間ほどは、ディスプレイの前に張り付いていたのですから、まあこれくらいの残業代は獲らないとね。^^
とにかく、アドレナリンが品切れになるほどで、なかなか寝付けませんでした。
というわけで、寝ついたのは午前4時半頃。
翌日は日本株のネットエイドがあるので起床は7時半。
というわけで、ちょっと睡眠不足気味のため、これから昼寝です。(笑)
0918 Tues.
どうしてそんなに働くのが好きなのか?
みなさん昨日までの三連休はいかがだったでしょうか。
ウチは昔からの友人たちと盛り上がったのですが、夜は米国マーケットがあったので、9時半にはお開きという健全?なパーティーでした。^^
だが丸々3日も休むと、「トレードがしたい!」というモチベーションが意外と強い事に気がついたというわけで、こちらにあるように存分にマーケットを楽しんだのですが、うーん・・これってワーカホリックなんでしょうかね。(笑)
でもこれって、先日書いた日記「大変なこと」に関連するかもしれないなと・・
「それは精神的な意味でというか、例えば mixiの日記みたいに、別にやめようと思えばやめてもいいのに書いてしまう、書きたくなってしまう、あるいは書かされてしまう(来れに関しては他者からの期待という、ある意味での強迫観念も含みます)。」
とコメントされていたことの仕事版なのかも知れないなあ、とふと思ったわけです。
アメリカのトレードフロアで、塩漬けになって動きが取れなくなって暇だったときに(笑)よくアメリカ人と議論をしたことがあるのですが、アメリカ人から見ると「どうして日本人はそんなに働くのが好きなのか?」という点が不思議なようです。
特にシアトルに住んでいる日本人の子供、特に商社マンの子供達は、普段の学校の他に、土曜日になると日本人学校へ通い、日本へ戻ってからの受験に備えて、勉強しまくるのです。
彼らは、自分のための自由に遊ぶための時間として、一日のうち何パーセントくらいの時間を割いているのかを、知りたがっていました。
そうした話の中で、「KAROSHI」という言葉が出てきたのですが、この言葉はすでに英語になっていたんですね。
フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」によると・・
過労死(かろうし、Karoshi , death from
overwork)とは、周囲からの暗黙の強制のもとで長時間残業や休日なしの勤務を強いられる結果、精神的・肉体的負担で、働き盛りのビジネスマンが突然死することである(最近は若者も多くなっている)。日本以外の国ではこれに値する語句がなく「Karoshi」として英語の辞書や他言語の辞書にも掲載されている。これらのことにより、過労死が日本の封建的なシステムやライフスタイルを象徴する言葉として世界に広く認知されるようになり、いまや国際語である。
ということになるらしいのですが、働きすぎる理由はいくつかあると思います。
日本人は昔から「家」を重んじ、血縁もですが家名の存続を第一と考えてきた歴史を持っています。
ですがこうした傾向が強すぎると「永続性を持つものとの、つながりがないと不安に陥る」ことになるわけですね。
日本ではホワイトカラーが多く、自由業の男性が少ないことは、ランチ後のレストランへ行ってみるとよくわかりますが、日本では男性はまず見かけません。
でもアメリカのレストランだと、午後2時を過ぎても、仕事をしている風でもない男性をたくさん見かけるんですね。
まあ私もその「仕事をしている風でもない男性」の一人ではあったわけですが・・(笑)
そこで戦後の自由主義に対して、日本人は知恵を絞って、代理となる家の存在としての「会社」を創り上げたというわけです。
つまり会社に所属することで不安感を払拭し、忠勤によって満足と永続性を信じることができる心理的な安心感に、多くの日本人は幸福感を求めたのです。
ですが会社に一旦所属してしまうと、個人よりも全体の和が重要とされるため、個人の自由が束縛されることになります。
ただこれは悪いことばかりではなく、こうした「所属する場の和を尊ぶ」という傾向によって、先進国のなかでは貧富の差が少なく、比較的安全性の高い国を生み出すという利点が生まれたのだと思います。
そのため長い間、こうした価値観の重要性が揺らぐことはなかったわけですが、欧米化に伴って、個人の能力や創造力を十分に発揮させるには足かせとなってくることを、本能的に感じ取った若者は、反動として
「やりたい志向」へ走ることになるわけです。
私の子供の世代である、団塊ジュニアが最もその傾向が強く出ているようですが・・
人数の多い団塊ジュニア世代は、受験勉強を通して自分の人生が何者かに支配されてきたことからの解放を「やりたいこと」に求めるという心理状態になったのでしょうね。
それが「天職探し」に必死になる「ひきこもり」を生むことに繋がった、というのは何だかちょっと皮肉な現象だといえるかもしれません。
ですがもう一方では、親の「強制されやらされる」人生の反動として「やりがいのあること」を探せば探すほど「つらさ」が生まれるため、やりたいことがあると、後先なくのめり込むことになるわけです。
「自分はこれのために生まれてきたし、これこそがしたいことなのだから、このためだったら、どんなにつらいことがあってもいい。」
これが今の若者に多く見られる「やりたい志向」が生む「ワーカホリック」の新しい形態なのですが、これはいわば「ニート」とは表裏一体の関係で、つまりは二極化しているということなのでしょうか。
mixi
の日記をイロイロ読んでも「やりたいこと」を仕事にできないニートと「やりたいこと」を仕事にできたワーカホリック、という二極化が若者たちの間で進行していることが伺えます。
私の目から見ると、若者たちは下層にゆくほど自分らしく働くことを好むという、私のような上の世代と逆になってしまうという逆転現象が、拍車をかけているかのように見えるのですがどうなんでしょうか。
日記を見ればわかると思いますが(笑)私もどちらかというと、ワーカホリックになりやすいタイプだと思うので、そういう意味では、トレードという仕事を選択したことは、過労死からは何とか逃れることができたという意味でも、正解だったのだと思います。
そのかわり「肩こり」には悩まされていますけどね。
と今日はだんだかオチのない最後となってしまいましたが、まあ休み明けということでアイムソーリーヒゲソーリー。(笑)(
--)/~~~~~(>_<)
0917 Mon.
ブレイン・マシン2
行動は人間が考えたプランに基づくため、その結果はプランの質の高さに依存します。つまり「考え」の質を高めれば、それなりの結果を得られることになります。
トレードを始めて「先行き」がだんだんと見えはじめたとき、漠然とですが脳裏に浮かんだのが、考えを生み出すもとになる「頭の中」を鍛えられないかという点でした。
考え方というソフトウエアのバージョンアップのために役立ちそうな本として、ビジネス書というジャンルで様々なモノが売られています。
そこから得られる結果の効果を保証しているわけではないにもかかわらず、またその効果のほどの検証がなされることはなくても、多くの人が買い求めているということは、そうしたニーズが確実にあるからなのでしょう。
ですが脳というハードウエアの性能を上げるための本は、何故か見つけることができません。これが事の発端でした。
「ブレイン・マシン」という日記では、日本ではこうした情報が、ほとんどないことについて触れましたが、それには理由があるはずです。
調べてみると、脳の科学的解明とテクノロジーの発達は、現在も相互作用をもちながら現在も進化し続けているのですが、一般的にはポピュラーとは言えず、とくに日本ではその傾向が強いのです。
脳研究に関心のある科学者たちは、脳波記録法、生物物理学、神経内分泌学、神経化学、神経解剖学、生体電気学、精神医学、精神生物学、心理学などの分野におよび、今この瞬間もその新しい概念や将来性に興奮し、ブレイン・マシンの可能性を熱心に探っています。
このブレイン・マシンに関する研究者たちの方向性は、二つに分かれています。
ひとつは精神分裂病、抑うつ、不安、パーキンソン病、てんかん、アルツハイマー病、精神遅滞、ダウン症候群といった病気治療目的で、正常な脳機能を回復させるためです。
もう一つは、健康体で心理的にも健康な人々に、ブレイン・マシンを用いる可能性を研究し、普通の人を「より賢く」するという心的能力の向上にあります。
「与えられた仕事をすばらしく行う能力」を発展させ「情報処理、記憶、集中などの高度な脳の働き」をより向上させる道具の開発に結びつくものです。
ただしこうした研究には莫大な費用がかかります。
心理学の研究に回される資金は実質的にすべて、医学的価値のための研究計画にのみ向けられます。
したがって、国立精神衛生研究所のような機関に属する科学者たちが、驚くべき心的能力を
引き出す方法の発見に個人的には興味をもっていたとしても、より社会に役立つとみなされる「治療目的」に向けられます。
しかし社会のためには、知性を向上させ、最も優れた知性人たちの、独創的で創造性に富んだアイデアを育てることも重要で、そうしたアイデアは、よい意味で社会を刺激し、様々な社会問題を解決し、安全で不安のない社会をつくり出す手助けになるからです。
ですが残念ながら治療目的ではなく、普通の人の知能を向上させるための研究をしている多くの研究者たちは、資金不足に苦しんでいます。
公的研究所や大学で研究を行う精神生物学者たちには資金調達の道があるのですが、脳の向上について研究する研究者たちの多くは、何とか資金をかき集めているのが現状です。
そのためブレイン・マシンの企業家たちは、公的研究機関からの資金援助が期待できないため、マシンを一般に売って資金を集めることになります。
トーマス・エジソンは電球を発明し、実用化して販売することで「人類社会に役立つ発明に、商業に対する理解が備われば裕福になれる」というアメリカの伝統が生まれたのです。
ブレイン・マシンの企業家たちは「自分たちのマシンは人類社会に役立つ大きな可能性を秘めている」と考えています。
彼らのほとんどは、ドクターの学位を持ち、科学者として学術経験を積んでいます。
また彼らは皆、脳に関する最新の研究に熟知し、マシンの根拠を示す主流派の脳科学者によるたくさんの研究論文を提示し、どの人物も他との比較を交えた正確な研究を通し、自分たちのマシンの効果を実証しようとする熱心さを持ち合わせています。
ですが、現実には科学とは異なるルールで動いていることが多いのです。
真の科学研究は、科学界の研究者たちによって厳しく吟味され、客観的な論考に基づき、他の研究者でも再現可能なものでなければなりません。
そのためほとんどの研究では、たいていの場合、二重盲検法が採用されています。
二重盲検法では、被験者と研究者の両方が、どちらが対照群でどちらが研究中の現象を受けているグループかわからないようにセッティングされ、被験者や研究者の予想が結果に影響することがないような仕組みとなっています。
研究の大半は多数の被験者を用い、研究前と後で様々な検査が行われ、長期におよぶ追跡調査が行われます。
しかしブレイン・マシンの企業家たちは、時間がかかる研究にかけられるような資金や資源
が十分ではないことが多いうえ、マシンに対するテストで二重盲検法を用いることは不可能なのです。
被験者が実際に体感できる装置を装着しているため、それを研究者や被験者に気付かせずに実験する「二重盲検法」が使えないからです。
また、研究対象となっている創造性、直観、知性、落ち着きといった脳の性質は、簡単に計測できるものではないことも立証を難しくしています。
マインド・マシンの企業家の一人であり、「ヘミシンク」と呼ばれる特許取得済みプロセスで、脳をシンクロナイズさせるシステムを開発したロバート・モンローは、こう述べています。
「純粋な科学は、ただ発見・解明することだけを好み、その発見を応用しようとはしません。
私にとっての一番の喜びは、このような発見から価値あるものをつくり出すことです。私は現象が存在することは知っていますが、どこまで作用するものなのかは知りません。真の科学を追究するのは他の人の仕事です。」
「なぜヘミシンクは作用するのだろう? と時には悩むこともありますが、何か効果があるのなら、使ってみることが大事なのです」
ほとんどの場合、マシンを使った被験者に強力な何かが起こったことを、研究でははっきりと示しています。
マシンを使用したユーザーたちも、体験によって驚くような変化が表れたと述べ、マシンの効果を証明しています。
しかし、それらは科学的証拠にはならないのです。
「ユーザーによる主観的な事例証拠」がどれだけ魅力的でまた印象的であっても、さらには膨大な量が備わっていたとしても、客観性と再現性を厳しく求める科学では、有効な証拠にはならないのです。
脳が何らかの形で豊かになれば、かつてない発達が脳細胞や心的能力に起こると深く信じている「純粋な」科学者たちでさえ、脳の発達を促すと称されるマシンが広く使われるようになることには、乗り気ではないのが現実です。
そうした科学者たちは、科学的証拠によって、脳の働きに対するある種の具体的かつ重要な効果が示されることがあっても、必要なのは確固とした科学的事実だと考えています。
これらのマシンの一つでもし何かが起きれば、技術全体が水泡に帰すのではないか?
そうなれば人々は疑いの目で見るようになり、この分野は世の中に受け入れられなくなるかもしれない。
減点を嫌う日本の社会では、こうした心理的な恐れがより高い壁となって立ちはだかっているのです。
0916 Sun.
タイアローテーション
タイアローテーションを敢行。
カミサンがガソリンスタンドへ行くたびに、タイア交換しないかと薦められるとこぼしていたので、それじゃあということで、1万3千キロほどの時点でタイアローテーション。
もちろん自分でやるわけではなくオートバックス東雲へ持ち込みであります。
ボクスターのナビやオーディオをつけたこともあって、オートバックスポイントアップカードはゴールドカードのため無料でした。
タイヤの寿命は走行距離にして、およそ3万キロから4万キロ。
その間にもタイアの減り方がが前後左右で違ってくるため、タイヤの取り付け位置を入れ換えることでタイヤの摩耗を均一化させ、長持ちさせようというのがタイヤのローテーション。
ミニはFFなので、不用意にアクセルを開けると空転しやすく、クーパーSはパワーがあるので、発進時には少し注意が必要。
というわけでリヤの2倍またはそれ以上に摩耗が起こりやすいわけだ。
だからといって消耗したタイヤだけ交換していると、古くなったタイヤには亀裂が入ったりして危険なため、溝がある状態でも交換が必要で、ローテーション後はバランス取りも必要。
というわけで、バランス取りまでは自分じゃあ無理だよね。
ということで普通は、こういうところででやってもらった方がうんとラクで合理的だ。
この2枚はフロントについていたタイアで、現在はリアに装着。
走行距離は3年で1万3千キロほど。
この2枚の写真は明らかに溝が深い以前の後輪、つまり今の前輪。
発進時にズルっとやるのは私だけで、娘やカミサンはそういう運転はしないので、タイアローテーションは、まあ罪滅ぼしですな。
時々ABSの効きをを試すため、空いている高速で思いっきりブレーキを踏んでみることがあるが、慣れないとキックバックに驚いて緩めてしまうため、いざというときのために、こうした体験は必要だと思う。
ほらこんなにすぐに止まれるから、これくらいのスピードなら大丈夫だからね、という暗黙のデモンストレーションがてら、カミさんを乗せてるときにABS体験をさせてあげたのですが「何ていう運転をするの・・」って怒られました。(笑)
でローテーション後のカミサンや娘の感想は「よく分からない」とのこと。(笑)
まあ体感的には自己満足の範疇を超えていないのが、チト残念なところか。
0915 Sat.
ボナンザVS勝負脳
その2
昨日の続きです。
ほとんどは引用ですが、トレードだけではなく、他のビジネスにも応用できそうな部分があるので、これ以上短くするのはちょっとねえというところまで、かなり短くしたのだけれど、まだ長いかなあ・・
ということなのですが、とにかく竜王渡辺さんの考え方を、箇条書きでまとめ、トレードとの比較を補足で追記しておきますが、本での練られた文章に対しての記述なので「緩い」のはどうかご容赦を。(笑)
将棋の必勝法は見つかるか
作戦、大局観、寄せなどの要素は細かく分けること
は可能だが、比較すべき要素の数が多すぎて数値化はできそうにない。
心の持って行きかたや自己管理の方法なども含めると、勝ちを決める要素の総数は100を超えるのではないか
。
そのためいつも2時間勉強している人のほうが1時間しか勉強しない人よりは勝ちやすいということはいえても、具体的にどう勉強すれば勝てるかと示すことはできない。
将棋は複雑なゲームのため、コンピュータにとっても「将棋の必勝法」を見つけるのは容易なことではない。
もしかしたら将来の進化したコンピュータでいくら時間をかけても、必勝法の発見は無理なのではないか。
個人がやるトレードの場合必勝法はあります。
トレードの場合は単純な勝ち負けというよりも、どれくらいの資金でどれくらいのゲインを狙うのかというレベルで考えるのが、こうした将棋やチェスなどとのいわゆる「勝負」との違いです。
いわゆる投資信託などのファンドでは資金が大き過ぎるために、時間をかけてゆっくりと買い集めて、ゆっくりと売らなければならないのですが、個人レベルの資金では、もっと短い時間で売買ができるので、このあたりが一般的には大きく誤解されている部分でしょうね。
大手の機関投資家は、買い集めたり、売ったりという手口がバレないために、コンピュータを使うわけですが、個人の場合は「自分の読みを楽しむ」という一番「おいしい」ところを味わわないというのは勿体ないため、譲れない部分と言うことになります。(笑)
勝ち方はどのようにして学ぶか
「どうしたら強くなれるでしょうか」とアマチュアの人に聞かれる。
「とにかく勉強してください」と
は言えるが、どの分野を勉強したら早く強くなれるかというのは人それぞれ。
将棋の場合は専属コーチがつくということはまずないので、自分自身で最適の方法を見つけて調整が必要。
ルールを覚えてからアマの有段者になるくらいまでは誰かに教わっても、そこから先は自力で、プロになるような人はみなこの過程をたどっている。
私も師匠からアドバイスをもらったことはない。
野球や陸上競技といったほかのスポーツの世界とは違い、将棋の世界にはこの一言ですべてが変わったという「魔法の言葉」は存在しない。
私の目には、スポーツの世界でトッププレイヤーにもコーチがついていることが、むしろ不思議に思える。
松井秀喜やタイガー・ウッズ、そうした人が、技術的にいま勝負すれば自分のほうが圧倒できる人たちにコーチングを受ける、そのこと自体が理解しづらい。
これは将棋の理論が体系化されていないからで、コンピュータを強くすることが難しいことにも通じているのかもしれない。
棋士の調整法は人それぞれ、八分の出来で前哨戦に臨み、本番で100パーセントのカを発揮できるようにするのが普通。
私も毎週のようにある対局すべてに
、最高の調子で臨もうとは考えていない。
将棋はいったん最高の調子に仕上げてしまうと、それ以上に調子が上がることはないから、あとは下り坂になってしまう。
ふだん細かい気を遣わない私でも、タイトル戦の時に最高の調子に持っていけるよう心がけているし「とっておきの手」を前哨戦に使うような戦略的に損なことはしない。
タイトル戦は人間と人間の勝負だから、直前の対局で指す戦法を「見せ球」のようにして、番勝負では入念に準備しておいた戦法を使うのも調整の一部
だ。
個人がやるトレードの場合は、これくらいの資金レベルなら、これくらいのリターンの可能性があるというレベルの理論は体系化されています。
というかほぼ10年をかけて体系化し、そして今現にそれを教えるということをやっているのですが、ここが最も大きな違いでしょう。
そのための補助ツールとして、コンピュータの力を借りるわけです。
トレードでは大体どこの部分に問題があるのかは大体わかるので、そこを補強してゆきながら、一人でどのようなマーケットの状況でも一定の成績を出せるようなプログラムで、一人前のプロを育てることができるようになっています。
ですから「体調」については、トレードの前に酒を飲まないとかというレベルのコンディション調整くらいで問題はないため、こうした人間相手の勝負の世界に比べると、遙かにラクだということはいえるでしょう。
直感力は必要か
直感に関してはその人の持つ才能が大きく影響し、鍛え方も難しい。
それでも直感の悪さが将棋を指す上で、致命的な不利になるということはない。
年をとると直感が鈍るとというよりも「直感の正確性が鈍る」というほうが正しい言い方だろう。
23歳の私が40歳になったとしても、直感は同じようにある。
ただ、40歳のときに見えるであろう手と、今見えている手は多少違ってくる。
今は10秒で5手読めても、40歳のときは瞬間的に5手読めなくなっていて、直感にも影響してくるような気がしている。
それをカバーするのが大局観。
直感も人それぞれ、個性の表れる分野だから、トップ棋士でもまったく私と考えの違う人がいる。
そういう人と対局後に感想戦をすると、相手が正しいと思っている手が自分にとっては正しくない。
その人の考、兄には絶対に同意できなくとも立派な実績を残しているわけだから、直感の違い、善し悪しは個性の違いと表現することもでき、人と違う読みをしているからダメだとはとても言い切ることは出来ない。
したがって、先入観にとらわれ過ぎるということはよくない。
自分では経験的にダメだと感じても、他の人から見たらそう思えないかもしれない。
直感が悪くてもプロで成功している人はたくさんいる。
トレードの場合は、「直感力」というのは、ほとんど関係ない世界です。
様々なデータを見ながら、正しい予測をすることが「直感」という定義をするなら別ですが、単なる「山勘」に頼るということはないのがトレードの世界なのです。
マーケットの読みというのは、長い時間をかけた動きは大まかにしか分からないけれど、時間が短くなればなるほど、予測が正確にできるという特徴があります。
ですから1分単位でのトレードの結果というのは、かなり高い確率で予測できるのですが、でも100%的中というのはありえないため、判断が結果としてダメだったら「早く負けて仕切り直す」ことが大事になります。
将棋のように「負けられない勝負」というのとはかなり違う世界なのです。
ですから先入観を持つのはよくないという部分では同じですが、「直感」に頼ったトレードでは絶対に利益をコンスタントに出すことはできないのです。
大局観は鍛えられるか
そもそも大局観というものは同じ人間でも人によって違うものであり、ひと言で表現できるものではない。
何をもってよしとするかは人それぞれ、駒得を重視する人もいれば玉の堅さを重視する人もいる。損得でなく、駒の働きが一番重要と考える人もいる。
その違いが生ずる理由は、今の実力を得るまで何を勉強してきたとか、どんな人に教わったとか、成長過程におけるいろいろな要素が関係している。
「大局観が悪い」といわれる人は、駒の損得が問題でなく玉が詰むか詰まないかを読まなければいけないような場面でも駒得に走るといったように、急所で明らかに大筋の方針を間違ってしまう。
プロの場合は大体そうした急所は外さないが、それでもたまには判断を誤ることがある。
私は修行時代から意識して大局観を鍛えてきたという記憶はない。
実戦や、誰かの棋譜を並べるなど、日常的な勉強を続けるうちに、気がついたら大局観が形成されていた。
従って、大局観の悪い人に「こういう勉強をすれば大局観がよくなる」というアドバイスをすることは難しい。
自分の場合では、四段になったぽかりの14歳のときの大局観と、いまの大局観を比べたら、今のほうがより局面を正しく把握できていると思うが、それはプロレベルの話で差はごくわずか。
アマチュアの人が初心者から初段になるような飛躍的な進歩とくらべると実質的には大きく変わっているわけではない。
他の人でもおおむねプロ棋士になったときには、基本となる大局観ができあがっているものだ。
私は将棋を始めてから10年でプロになった。その10年の間にかなりの局数を指している。
ほかのプロたちもそうした修行期間の間にだいたいの棋風や大局観が定まってくる。
玉の堅さを重視したいとか、とにかく攻めたいとか、守るのが好きだとか、人それぞれではあるが、四段になったとき骨格がほぼ形成される。
人間の骨格がすべて同じでないように、プロ棋士の大局観もそれぞれの個性がある。
大局観というのは面白い表現です。
トレードでは扱うモノが先物なのか株式なのか、国債のかによってトレードのスタイルというのは、微妙に違うのです。
マーケットの動きを読むという意味を「大局観」という定義づけるなら、将棋の世界とかなり近くなります。
経験が少ないと、マーケットの動きがある局面になったときに、どう対処していいのかは、なかなかわからないものなのですが、経験を積むことでだんだんと分かるようになります。
じっくりと待ってトレードをするのか、最初からどんどんエントリーして売買を繰り返すタイプなのかという違いはあるので、それを守りと攻めという分類の方法で表現することはありますけどね。
人間は経験で強くなる
どんな経験でも、マイナスになるということはまずない。
今回の対ボナンザ戦も自分にとってはいい経験だった。
ただし、タイトル戦のような大舞台で得られる経験値は特別のものがある。
格闘技にたとえれば5割の力で勝てるような格下の相手と戦ってばかりでは、自分の本来の能力を出し切ることができない。
はるかに格上の強者と対戦し相手が鋭いパ
ンチを放ってきたとき、それを瞬間的によけることができるかどうかという、いわゆる自分の潜在能力に気づくのは、強者との対戦でなければできない。
将棋でも同じことがいえる。
強豪との対局を数多くこなすことにより、私が10年後に今より
瞬間的に手が読めなくなったとしても、その分を経験でカバーしていくということは十分に可能だ。
最高に強くて自分とは違った感覚、個性を持った人と対局することは、相手から多くのものを吸収することができる最高の勉強の機会
だ。
以前羽生さんとタイトル戦で戦ったあと(2003年王座戦五番勝負)、自分の中で何かが変わった。
それまでの自分は同世代の中ではいつも一番だった。
どこかで気持ちが緩んでいたことがあったかもしれない。
だが、重要な対局で羽生さんや森内さん、佐藤さんらと対局する機会が増えて、初めて乗り越・兄なければいけない壁の存在を感じるようになった。
「このままでは追いつけない」その思いが、自分の意識改革につながった。
羽生さんの世代と戦って強く感じたのは、序盤で差をつけられることはなくとも中盤のねじり合い、そしてなにより圧倒的な終盤力である。
羽生さんとの王座戦五番勝負ではフルセットまで戦い、敗れはしたがいままで見えなかった何かを得られたことは間違いない。
その翌年、私は20歳で森内さんから竜王のタイトル奪取に成功した。
当時からいろいろな人に「渡辺さんの将棋は割り切りがいいですね」と言われた。
私自身は単に若くてよい成績を残せているからだと思っている。
自分の信じるやり方で戦って、勝てなかったとしたら当然手も伸びなくなってくる。どんな人でも若いときは自信家だからということもある。
大舞台で指せば楽しいし、一局の密度が違う。
若いうちに大舞台に出て、自信をつけることが出来れぽ、「好結果がさらなる自信を生む」好循環になる。これは私の経験上も他のトップ棋士の足跡からも間違いない。
トレードの場合は、何手も先を読む必要はなく、その瞬間での読みが大事。
利益を出すための、かなり具体的な条件というのはあらかじめわかっているので、その範囲内での対応が重要になります。
これはリアルタイムでのチャットによる「ネットエイド」というトレーダーのためのガイドの記録がこちらにあるので、ご覧いただければ、大体どんなものかが分かると思いますだ・・
マーケット開始30分間は無料で、マーケット開始後1時間だけは4000円の有料ガイドです。
リアルタイムで質問できるようになっているので、少しでもおかしいところや曖昧な表現があれば納得のゆく説明をしなければなりません。
リアルタイムで動くチャートを見ながらという前提ですので、文章だけを見ても、ピンと来ないかも知れませんが、チャートを貼り付けて大体どんな様子だったのかが、わかるようになっています。
毎日その場その場でどのような判断をしているのかを、マーケット終了後に振り返って検証することができるので、プロトレーダーのみなさんの間で好評なのですが、やる側は結構大変です。大分慣れましたが・・かなりシビアですからね。
感情はどう扱うべきか
人間はコンピュータと違ってほとんどの場合、第一感を優先して手を読む。
しかしその第一感は、その日の調子によって変わってくることがある。
タイトル戦の番勝負を戦っているようなときだと集中力の高い状態なので、他の棋戦でも直感が冴える。
感覚が研ぎ澄まされているから、手も良く見える。ところがタイトル戦が終わったあとや、大勝負から遠ざかっているときは、感覚も多少鈍くなり、ともすれ
ば感情が表に出てきて大きなミスにつながることがある。
将棋界では「負けてもこうやる一手」という言葉がある。
これは少し苦しめの局面で「悔しいので負けてもこう指すべき」と、感情的に指してしまうことであるが、たいていの場合「負けても」の一手はいい手でないことが多い。
本当は悔しくてもそういうときに辛抱しなければいけないのだ。
自分も調子がいいときは、「負けてもこうやるべき」という思いを抑えて、粘りの手を指している。
悔しくとも辛抱していればいつかチャンスが来る。
「負けてもこうやる一手」はたいてい「負けを早める一手」になる。人間の感情は必ずし
も勝負にプラスに働くとは限らない。
コンピュータはその点では感情がないので人間より優れている。
トレードでは、判断したことを実行できないというのもミスなので、それを放置しておくと、ほとんどのケースでは、時間の経過と共にだんだん損失が大きくなります。
トレードの世界では「見切り千両」という言葉があるのですが、カットロスをして、そのトレードは捨てて、新たに仕切り直すということがとても重要になります。
これができないと高い授業料を支払うことになりますが、誰もが「その人なり」に払っていますね。
私もトータルではかなり払ってますね。あまりそういう計算はしたくないですが。(笑)
それが経験であり、この積み重ねによってチカラがつくのですが、人によってはそれが感情的な面にネガティブな作用として働き、ビビッってしまって、トレードができなくなるケースがあります。
これはポジションというトレードをするサイズが大きすぎることが原因となることが多いのです。
負けても青くならない程度のトレードサイズであれば、カットロスをしたとしても「まあ仕方ないか・・この次頑張ればいいや」で済みますからね。
トレードでは、「負けたときの感情のコントロール」というか「切り替え」が大事で、これが人によっては、なかなかできないのです。
勝負は頭のいい人が勝つとは限らない
人間にとって将棋とは一体何なのだろうか。
「知能を競うゲーム」という言葉が浮かんでくるが、将棋は決してそれだけではない。
他のボードゲームにおいて知能は一番大きな要素ではあるが、将棋では直線的に読んでいくような頭脳の働きは決して良くなくとも、駆け引きや心理戦で十分戦える。
最高の頭脳と賞賛されることの多いトッププロでも駆け引きをほとんどせず盤上のみに集中するタイプもいれば、心理戦も含みに入れて、戦型選択まで工夫して指してくるタイプもあり、さまざまだ。
心が強い、弱いというのは心理戦において大きく影響してくる。
本番になると緊張して力が出ないといったような心の弱さを持つ人は、プロを目指すには向いていない。
もちろんアマチュアのレベルなら多少の心の弱さは技や知識の量で十分補える。
知識の量、これは多ければ多いほど有利である。
将棋で「技」の種類が多いということは、そのまま知識の量、蓄積が多いということにほかならない。
ここで大切なのは、知識の質も重要ということがよく言われるが、正しい情報だけ入っているようにすることや不要な情報を初めから排除することはそう簡単ではない。
将棋の勉強はまず量が大切、奨励会時代は1日10時間くらい勉強するのが当たり前である。
人間の集中力は3時間が精一杯といっても、その限界を超えてどこまでできるか。
棋士になったあとでも、ほっとして暇ができたと思ったらとたんに結果に表れる。
私も20歳前後に調子の上がらなかった時期があったが、気持ちを新たにして猛然と勉強量をこなしたら竜王戦の挑戦者になることができた。
質が変化する前には量の積み重ねが必ずある。
常温の水をどんどん加熱していくと、途中までは液体だが100度を越えた瞬間に沸騰して気体に変化する。
将棋で飛躍的に実力が伸びるときも、水が沸騰するときと似たようなものだ。
不要な情報は、一段高いレベルに達してみれば、自然に自分の知識の中から省かれてゆく。
将棋の勉強が食事や睡眠と同じように生活の一部になるほどやれば、才能の乏しい人でもプロのレベルに達することは十分に可能だ。
プロのトレーダーにとって、トレードは単なる仕事ですから「知能を競うゲーム」というとちょっと大げさに感じますね。
ただ「心が強い、弱いというのは心理戦において大きく影響してくる」というのはトレードの世界でも全く同じで、シミュレーションだと勝てるのに、実トレードになると勝てないというのは、まさにこの部分が影響しているわけです。
銘柄やその動きに関する「予備知識」は、チャートを使ったトレードでは、かえって邪魔になるだけ。
たとえば今日は利上げの発表があるから、早く切り上げてオーバーナイトといって翌日まで持ち越さない、などという程度の知識があれば十分なのです。
トレードでもチャートを見る数というのはある程度、成績に比例します。
トレードが好きで熱心な人は、やはり上達しますし、利益が出てくると面白くなってきて、より勉強するというサイクルになり、そうなるとしめたもので、そうなるどんどん儲かるようになります。
で、そんなにガツガツしなくてもいいや、ということに落ち着くのですが、とにかくパソコンがキャッシュマシンになるわけですから、いろいろなモノを見る視点がそれまでとは激変することになります。
この衝撃は、体験した人でしか分からないでしょう。
一番大切な「実力」とは
盤を離れて考えると、勝負を構成する上で重要な要素がいくつか見えてくる。
研究量、記憶力が要素の一つであることは間違いない。
挙げていくと100ほどになってしまうが、一番重要な部分は「実力」というシンプルな言葉で表されると私は思う。
実力、それは正確に深く読む力のことだ。研究量がいくら多くても、読みの力にはつながらないし、記憶力も直接読みの能力とは関係ないように思う。
その場その場でどれだけ集中して、正確に一手でも深く読むことができるか。
それができたほうが勝つケースが多い。
決断力、構想力といったフレーズも、勝負に影響する要素としてよく挙げられる。どれももちろん大切であることに間違いはないが、私自身がこうした言葉を意識して考えたことはない。
切羽詰まれば体力には関係なく人間は集中できるものだ。
読みに没頭しているときは、「無心」になって手のことを読んでいるだけだからだ。
ただ、私の場合、手のこと以外にほんの少しではあるが対戦相手のことも考える。
正直に話すと、自分が勝って当然の相手だったら、たまには読みの踏み込みが甘くなることもある。これは明らかに油断だから苦戦の元になることが多く、自戒しなければいけない。
人によっては読んでいる最中、相手のことは一切考えずに盤上だけを捉え「自分自身との勝負」を第一に考えているタイプもいる。
読んだ結果、それが本当に正確だったかどうかは、実は対局を終えた後の感想戦でしかわからない。
対局中、読んでいる最中にはいくら一生懸命読んだとしても、実際に進めてみてはじめて読みが正しかったか、正しくなかったかがわかる。
悪手を指すときも対局中はたいがい正しいと思っているわけで、良かった悪かったは結果論でしか語れないのだ。
マーケットでは記憶力というのはあまり関係ありませんね。
大事な局面での買った負けたは嫌でも記憶に刻み込まれ、それが明日の糧になります。
「その場その場でどれだけ集中して、正確に一手でも深く読むことができるか
。」が将棋の世界なら、トレードの世界では「その場その場でどれだけ集中して、ルール通りに素早く正確に反応できるか。」ということになります。
確かに切羽詰まれば体力には関係なく集中できるうえ、トレードに没頭しているときは、「無心」になって
マーケットに反応していますから、マーケットがよく動いて、どんどんエントリーできる局面だと、あっという間に時間は経過します。
ですが動かないと、とても時間を長く感じるのです。
ただ、だからといっていつまでもその方向へトレンドが動くとは限らないので「やめ時」がとても大事になります。
「タイ焼き」と同じで頭としっぽの先には、あんこが詰まってないので、端から端まで取ろうとすると、うまくゆかなくなるのです。
ですから、あまり欲を出さないのも大事なのですね。
こうした様々な要素が絡み合うマーケットでは、トレードが終わってから客観的に自分を見つめるという作業はとても大事なのです。
ネットエイドで終わってからチャートを貼り付けて検証しているのは、自分の判断がずれていないかどうかを確かめるためのものであって、いわば自分のためにやっているわけです。
人類の知性の最高到達点
私がコンピュータに負ける気がしないというのにはいくつかの理由がある。
まず今のプロが指している将棋がこれまでの歴史を振り返ってみても、最高といえる水準で指していると思われること。
おそらく羽生さんなどは人類が到達しうる限界点に近い強さの将棋を指している。
そんな羽生さんでも間違えることはあるから「人間は完全」とはいいがたいのだが、羽生さんに近い実力を持つ人が他にも何人かいて、そうした人たちが切磋琢磨しているのにコンピュータがそれらの人たちをすべて超えるというのはとても想像ができない。
私もふだんコンピュータが役に立つと思うのはデータベースで情報の処理に使うことと、あとはせいぜい詰む詰まないを調べるくらい。
一局を通じてコンピュータの思考法を参考にすることはまったくない。
それほど実力があるとは思っていないからだ。
コンピュータに人間が敗れるというのは、私も含めた上位の棋士たちがみな十番勝負で3勝7敗とか2勝8敗の成績になるということ。
ソフトの開発者たちはいずれそうなると思っているようだが、私にはとてもそうは思えないのである。
もちろん、われわれも負けてはいられないので、遠くない将来コンピュータを本物のライバルとして認識しなければいけないだろう。
それとは反対に、コンピュータの進歩に寄与して、どこまで強くなることができるか、開発者と協力しながらコンピュータの最高到達点を極めていこう、という考え方のプロがいたっていい。
ただしわれわれトーナメントプロはそうはいかない。
ライバルになったら、あとは戦うだけである。
人間はいつまで完勝できるか
今回の対ボナンザ戦は、終わったあとだから話せるが、私のミスでいい勝負にしてしまった。
圧勝できたはずなのに、なぜ接戦を許してしまったのか。
相手は奨励会二段か三段の強さだから、2時間の持ち時間で指せば普通は私が圧勝できる。
しかも人間の奨励会三段より、同じくらいの力を持つコンピュータのほうが、くせをつかんでしまえば簡単にこちらが有利にすることができるはずだ。
今回の対局を見た人の中には、ここまで差が詰まってきたから、近いうちに人間が負けるだろうと思った方もかなりいたはず。
だが、仮に来年、もう一度ボナンザと対局する機会があったら、もっと簡単にこちらが勝たなければおかしい。
総合力では私のほうが確実に上回っているし、他の多くのプロが指したとしても結果は同じ、人間の完勝だろう。
そのための作戦としてはいくつかの方法が考えられる。
今回私がやったように、正面からつぶしに行かず、相手のミスを引き出して安全に勝とうとする指し方は、相手がミスをしてくれなかった場合リスクが大きくなる。
私は万が一にも負けないように、極端に言えば初手から安全に指していた。
ボナンザ特有の猛攻を避けるべく少しの争点もできないように、何もさせない指し方を目指した結果、かえって接戦になってしまったのだ。
この結果を踏まえて通常の対局と同じように、ある程度踏み込んだ読みを入れて戦ったほうが、コンピュータが大局観の悪さからミスを出し、結果的に人間が楽に勝てると思っている。
ただし、人間側は「まだ負けてはいけない」という気持ちが強すぎるから、私がそうだったように、安全に勝てそうな方法を選んでしまいそうだ。
やはり10回対局して1回負ける可能性がある相手と対局するとしたら、その1回が怖く見えるのが人間の心理だからだ。
ただ公式戦とて100回指して100回とも勝つことはできないから、人間がふだんの公式戦と同じような心境で戦えば、トップ棋士がコンピュータに負けることはない。
これは決して大言壮語ではない。
コンピュータ相手に公の場で初めて平手の真剣勝負を経験した私が、対局前にコンピュータ対策を練り、実戦を指した上での感想だから、きっと信じていただけるはず。
プロ棋士としての目標
第一に考えているのは、これからもずっとトップで居続けること。
仮に20年後、40歳を過ぎた自分がタイトルを失い、順位戦のクラスもB級2組くらいまで落ち、将棋の個性も乏しくなっていたら、きっとファンの人からも忘れ去られて、完全に過去の人になってしまう。
プロ棋士はタレントとしてもやってゆけるような特別な才能がある人を別にしたら、とにかく将棋が強いということで初めてファンにも名前を覚えてもらえる。
私は棋士になった以上、常に目立つ存在でありたいと思う。
そのためにはこれから何十年続くかわからない棋士生活でも、ただひたすら勝ちまくるだけである。
将棋を勝つためにはこれまで述べてきたように、学校の勉強を得意とするような頭の良さは必要ない。
偏差値や学力とは別の「盤上における賢さ」が大切なのだ。
たとえ学校の勉強ができなくとも、盤上での正しい大局観、実力は身に付け伸ばしていくことができる。
それには将棋を好きであり続けるしかない。
好きであり続けることの大切さ、それはアマチュアでもトッププロにおいてもなんら変わりはない。
トレードでは正しい銘柄を選択して、正しい位置でエントリーして、正しい位置で脱出する、という3つの条件を満たせれば利益を出せるのです。
ですから銘柄選択は、ナスダックマーケットでは、プログラムを使ってコンピューターで3千銘柄の中から40銘柄くらいによい銘柄を毎週末に絞り込みます。
それを翌週毎日継続して監視してトレードするのですが、3ヶ月も毎日見ていれば、どの銘柄も「おなじみさん」になるわけです。
こいつは気まぐれで動きやすいとか、気むずかしいとか、従順だとか、今日は先物に忠実に動いているとか、あるていどのポイントを見ていれば、大体のうごきは予測できるようになります。
いわゆる先物とか為替はいわゆる一銘柄だけをトレードするようなモノですから、多くのトレーダーが狙うため、株式とは全く違った難しさがあります。
トレンドに嵌っていないときは、手を出さないというシビアなメンタルコントロールが必要ですから、毎日楽しみたい私にはあまり魅力がないのですね。
このように、株式ではマーケットの状況に合わせて、銘柄を選択して目標とする利益水準をコントロールするため利益を出すだけなら、それほど難しくはないのです。
あとは資金が多いと有利なるとかの付帯した条件とを組み合わせるだけですから、十分に仕事として成り立つわけで、これが将棋の世界との違いでしょうか。
将棋は賞金とか契約金とかいう二次的なもので収入を得るわけですが、トレードはダイレクトにマーケットから利益を得ることができるので、トーナメントで優勝して名前を売らなくてもいいわけで、ここも大きな違いです。
偏差値や学力とは別の「盤上における賢さ」が大切なのだ。
たとえ学校の勉強ができなくとも、盤上での正しい大局観、実力は身に付け伸ばしていくことができる。
それには将棋を好きであり続けるしかない。
好きであり続けることの大切さ、それはアマチュアでもトッププロにおいてもなんら変わりはない。
という最後の部分は「将棋」を「トレード」に置き換えるだけで、成立しますから、まさに「御意」。
ということで、ずいぶん長い日記になってしまいました。
お疲れ様でした。
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